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2023年度座間市ふるさとまつりに参加しました

2023年11月19日。

座間市ふるさと祭りが開催されました。私たち、ざま災害ボランティアネットワークのタイ焼きプロジェクトも参加しました。

 今年で12回目の参加となります。今年は、新人の会員の参加者が多くて私たちの活動の上に流れた歳月を思い出してしました。(2020年、2021年はコロナで中止)

前日は、風が強くちょっと心配をしましたが、午後から機材の準備をして、車に積み込み準備万端、明日の活動に期待を込めました。

 

 会場には、朝早くから、出展団体がそれぞれのテントの前に車を乗り入れて、荷物をおろしていました。

晴天。一点の雲もなく晴れ上がった空に、「タイ焼き」と「生き残らなければ何も始まらない 災害救援ボランティア」の旗が翻りました。

 

 9時からの開会式では、佐藤弥斗市長も気合十分の挨拶をされておりました。

9時20分。昼花火を合図に販売開始です。座間名産の「ヤマトイモ」には長い列が並んでいました。

私は顔なじみの団体の責任者の方々や、10月30日に、開催させていただきました当団体の防災担当大臣表彰の会にご出席いただいた方にご挨拶に回りました。

テントに戻ると、すでにお客様の列が並んでいました。

 

 昨年は、ちょっと値上げをさせていただきましたが、今年は元の価格に戻しての販売です。ご案内の通り、諸材料の価格が上がっており据え置きは厳しいです。また、コロナが明けたと同時に食品の野外販売の規制も厳しくなり、当団体も「臨時営業許可」の申請をさせていただき、臨時店舗営業という形での出店になりました。

 

 通路にお客様が並び始め、通行の障害や他の出店者方々に迷惑にならないように、急遽、手作りの「最後尾」表示板を作っていただきそれを掲げながら動線の整理に当たりました。

10枚、20枚という大口のお買い上げのお客様もおられます。焼き手は2名でフル回転。

何よりも、タイ焼きの種を作ってくれるK会員が新人会員に教えながら種を作り補充してくれます。

販売の窓口に立ったUさんは初めての体験。最初は、お客様の「圧」によろめき気味でしたが、S会員がサポートを受けながら踏ん張ってくれています。

注文を頂きそれを、小袋に入れてお客様にお渡しする所は、ベテランのTさんが目を光らせて全体を見てくれています。さすがに、最初からの出店経験や、そのほか市内の様々なイベントで仕切ってくださる経験の力です。

 

 この活動は、12年前の東日本大震災の被災地での活動の資金を確保するために参加をはじめました。

私たち団体も不慣れな面もあり様々な苦労を重ねてここまで来ました。残念ながら最初からの参加を経験した人は、私を含めて3名となってしまいました。

幸いにして今年度は、災害直後の被災地に入っての活動をする機会はありませんでしたが、2011年3月の東日本大震災直後からは、毎月のように被災地へ出かけてタイ焼きを焼いて被災者の方々に「笑顔と元気」を差し上げてきたつもりです。今日も、Y副代表が中心となって会場の運営を仕切ってくれましたが、彼をはじめ、2人のK会員もコロナ感染拡大直前の2020年2月の宮城県丸森町での支援が初めての被災地での活動でした。それ以降は、被災地県外からの支援活動が止められており思うような活動ができないままに至っています。市内の活動もほぼ全面中止となっていました。その代りに、コロナ感染拡大に備えて「感染症予防ガウン」の作成に注力を注ぎました。

 

 当時2020年以前の会員は、私を含めて、東北の沿岸部で被災するということの意味をしみじみと体験してきました。

甚大な被害の中から立ち上がろうとする強い女性の力に感動しました。さびれそうな街を何とか支えようと活動していたグループにも出会うことが出来ました。3.11の8月に沿岸部でタイ焼きを焼いた時に出会った「ばっちゃん」に6年ぶりに再会して思わずハグを交わしたことを思い出しました。大雪の中での釜石のタイ焼きの時には、まず最初の作業が除雪でした。「すいとん」+「タイ焼き」のコラボ企画でした。通い続けた石巻の漫画館での思い出もたくさんあります。この活動を支えてくれたI会員は今も、被災地へ通っています。

 

 九州の熊本では小規模な仮設団地の庭にテントを張らせていただきタイ焼きをお配りもしました。移動の途中の道の駅で買った焼き芋の温かさに感動したことが甦ってきました。

九州北部水害の浅倉町では、今までで一番寒いタイ焼きを体験しました。焼き台の前面にビニールのシートで覆いをして風を防いでも、タイ焼きをしている指先がかじかんでしまいました。しかし、被災現場は、東京オリンピックに建設作業員が出稼ぎに行ってしまい、復旧工事が進まないまま半ば土砂に埋まってしまった家屋が放置されていたのも見てきました。「公の目線」の在り方に「怒り」を感じ政治への不信が強くなったのも事実です。

 

 倉敷市真備町の水害の中での活動では、支援物資を受けるために被災者が持っていた「罹災証明書」の折り皺がちぎれそうになっているのを見て「何んとかならないの?」と社協の職員の方に申し上げたこともありました。

そこで、座間市で集めた支援物資の「タオル詰め合わせ」を被災者の方々にお配りさせていただきました。その中に入れた座間市の小学生の書いたメッセージカードを目にした被災者の女性が、感極まったのか自分の車の中に入って泣いている姿も目にしてきました。

 沢山の思い出をさかのぼった時に、わたしたちを支えてくれた原動力は、このような座間市内で応援してくださった「座間市民」の方々のお力だったということを改めて感じました。

 

 先日、書かせていただきましたように、福島原発の被災地を回った時、胸をよぎったものは得体のしれない「怒り」でした。10年後、30年後あの町はどのように変化しているかは、残念ながら私には見ることはかないません。出来るならば、人間の英知が集まって、今日、現在の技術力を超越する手段方法が開発されて、放射能が無害化されて元の姿に戻ればと思う気持ちもあります。

 

 2023年の成果は、皆様に支えられて歴代2番目の売り上げを作ることが出来ました。この資金は別会計としてプールさせていただき、次の災害に備えておきます。この資金が支出されないことを願っています。

会員の皆さん、本当にお疲れさまでした。市民の皆さまご協力ありがとうございました。