座間市市政50周年を記念して座間市より感謝状を授与されました。

 座間市は11月1日 市政50周年を迎えることができました。市民の一人として大変うれしく思います。

私自身も約45年住んできた町です。子ども二人もこの地で育って巣立って行きました。

そのような中で、何回かの経済の凸凹の波を乗り越えてきましたが、居住地の座間市の発展を直接、体感することなく過ごしてきた人生です。

2005年11月に、退職をしてから地域の活動に足を踏み入れました。それまでは、住んできたマンションの防災会を立ち上げて運営に参画してきましたが、その仲間で、もう少し市民に分かりやすい防災活動をしてゆかなければ万一の時に安心できないという思いから仲間と立ち上げた団体が「ざま災害ボランティアネットワーク」でした。約2年間をかけて座間市の当局と調整を行いながら2008年7月に任意団体としてスタートしました。

 

 はじめは、資金もなく、参加される方々から参加費をいただきながらのスタートでした。前市長が、市民協働活動を強化するという、第4次総合計画を推進する中で、私たちの活動もだんだん認められるようになりました。発足から3年後の2011年3月11日を境に災害に対する市民の考え方も大きく変化を示して、私たち団体への講演、講話、訓練指導などの依頼が増えてきました。また、教育機関からも防災教育の場をいただくことができ活動の輪が広がってきました。社会福祉協議会も、全国組織が地域の災害の後の生活支援活動に力を入れることも相まって、地域社協も災害について考えるようになり、結果、愛川町、清川村、大和市さらには、現在は厚木市の社協などからのオファーをいただき「災害救援ボランティアセンター」の研修をいただきながら「災害救援ボランティアセンター」への取り組みへの認識も高まり、県央域ではかなり早く社協との訓練も定期的に開催できるようになりました。

 

 女性の会員、定年を迎えて座間市へ戻ってこられた方々もボツボツと入会も進み、ついに2021年に設立10周年の記念のイベントを開催することができました。

 ShakeOut提唱会議の支援をいただき、2012年1月に座間市と当団体との協働事業としての「座間市いっせい防災行動訓練(ShakeOutプラスワン訓練)」を導入して毎年1月23日 午前11時を期して、合図とともにその時、座間市に在住・在勤している市民が1分間「いのち」を守る行動をとる訓練を導入して「生き残らなければ何も始まらない」という当団体が掲げてきたフレーズを防災・減災活動推進のキーワードとして推進してきました。

 

 これは、私たち会員だけではできるものではなく、危機管理担当部署、消防署、教育関係機関、商工会などの協力があってできたものと思っております。2011年3月の東日本大震災では、被災地支援のために物資を募り、座間市と協定を締結していた秋田県大仙市の協力をいただき、早期に市民から提供されたタオル類約1万8千枚を、分別して送り込むことができました。

 

 その後は、被災後の仮設住宅の生活基盤となるコミュニティー再生のお役に立てればと思いながら被災地を巡回しながら「タイ焼き」を焼き続けてきました。その資金のすべては、座間市内でのイベントでタイ焼きを焼き、販売した資金を貯めて活動をしてきました。その範囲は、原発で追われてしまった大熊町から避難された会津若松市、いわき市、三陸沿岸部の市町、女川町、石巻市、さらに熊本地震の被災地である益城町、阿蘇市、九州北部水害被災地 朝倉市、西日本豪雨被災地の倉敷市真備町、宮城県丸森町などで活動をしてきました。この中で私たちが得た教訓を防災教育の場で生かす活動を続けてきました。

 

 このような、市民全体の支援をいただきながらか活動が続けられたことは、会員各位、家族そしてそれらの繋がりの中から生まれた力でと思い感謝いたします。

今後、近く、必ず首都を襲う災害が起きることが言われています。その中で「ここで被災者になるなんて・・」という言葉がない地域を作り出したいと思っています。

 

 今日の式典は、コロナ感染症を防ぐために多くの方が参加できない中で行われました。12年間の活動の中で培ったつながりを大切にしながら明日へとつないでゆきたいと思います。

表彰を待つ中で、走馬灯のように様々なことが浮かんできました。まだまだ、多くの被災地は傷を負ったままになっています。

コロナが終息(収束ではだめ)しましたら、球磨村なども訪問してタイ焼きをお届けしたいと考えています。

本日は本当にありがとうございました。