· 

宮城県丸森町 たい焼き支援活動に参加しました(3)

  2月10日。天気は良かったのですが寒いです。ズボン下を履いていても下からゾクゾクと寒さが這いあがってっ来るようで、思わず「ホカロン」のお世話になりました。

 

 今日の活動は、2つの小学校を回ってたい焼きの体験授業をやることになっています。

7時30分 亘理町の宿を後にして一路丸森の町を目指してゆきます。最初は、耕野小学校です。何事もないときであれば役場から30分圏内といわれていますが、何分にも阿武隈川が暴れていて私たちにはどう進んだらよいのかわからないのですが、ドライバーのKさんとナビゲーターのKさんに任せて進んでゆきます。

 

 県道349号線をたどってゆきますが、この道は阿武隈川沿いに走りますが、道はかなり荒れていて何よりも道路のガードレールが10月の台風で流されてしまったままになっています。当然、アスファルトもひび割れた場所から雨水が入ったことですべて浮き上がったり、めくれ上がったままです。まだ、道路の啓開が行われたままの状態で、何とか地元の方の日常の生活を維持できるだけの状況です。

 

 この位置から見る阿武隈川はかなり低い谷の中を流れています。時には淀みを作ったり、瀬にになったりしています。ふと、眼を上げるとかなり高い樹木の枝にビニール袋の切れ端や、ブルーシートの切れ端が引っかかったりしています。あの位置まで水が来たということは、川底からの高さは半端ないものです。それが、川幅一杯になって流れたわけですから、当然、本流である阿武隈川は圧倒的な勢いと水位で下って行ったと思います。

 

 そこへ、普段から支流の川が流れこもうとしても流れることが出来ずにいわゆる「バックウオーター」が発生して丸森の集落を水没させたのだと思われます。それにもまして、山々で間伐材を切って乾燥をさせるために放置していた木々が、土砂崩落に巻き込まれて下に崩れてきて川に流れ込んで橋をだめにしてしまったとの話も聞きました。災害から4か月たってもまだまだ日々の生活を維持する程度の修復らしき工事しか進んでいないというのが実情でした。

 

 ウネウネとした道を進むこと約40分ようやく阿武隈駅を下に見るところまで進んできました。細い道が上の方へ向かう道の入り口に耕野(こうや)小学校入り口の標識が見えました。そこから一段と道は上り坂、四輪駆動車だからこんなに多くの人と、資機材を積んで上がれるのだと思いました、道は陥没していたり、片側が崩落したところに鉄板が敷き込まれているようでした。慎重に走ると郵便局の先に学校の上り坂があり、校舎が見えてきました。耕野小学校です。車内から「ほっ」というような雰囲気が漂いました。

 

 教頭先生が出迎えてくださいました。すぐに授業をする場所を指定していただき挨拶もそこそこに準備を始めました。私は教頭先生に促されて校長室にお邪魔しました。女性の校長先生がお待ちでした。ご挨拶をして当時の状況をお聴きしました。校庭にはまだ、ロープが張られていて立ち入りできないようになっていました。校長室から見える右奥には竹林が大きくうねるような感じで崩れ落ちた痕跡が見えました。先生は、気仙沼から単身赴任中のようです。当日は不在で連絡も途絶えてしまい不安な気持ちだったようです。三日後に自衛隊の啓開作業が終わって、何とか入れるということで学校へ這いあがるようにしてこられたようです。その時見た校庭は校舎の際まで、竹林が押し寄せてきていてギリギリのところで校舎は無事、そして、何よりも子供たちが誰一人かけることなく無事だったことがうれしかったと話してくださいました。

 

 準備が出来ましたということで外に出ると、6年生の男女2人が給食用の白衣と帽子を身に付けて待っていました。挨拶をしました。ものすごく元気で礼儀正しい挨拶でした。全校7名の児童が勉強をしているようです。現在は山村留学の生徒さんがいなくなったので少し寂しいとのことでした。

 

 先生からは、事前にたい焼きを作る工程をすべて体験したいとのお話がありましたので早速、Y君の指導で、粉をふるいにかけて水の入った容器の中に落とし込んで、ホイッパーで混ぜる作業をしました。女子の児童にはちょっときついかなと思いましたが一生懸命に回して滑らかに溶きました。さて、この種を型に流し込む用具(デポジッター・種落とし)に入れてたい焼きの型に流し込む作業をします。二人とも真剣な顔つきで取り組んでいました。鉄の型が熱いので万一やけどをしたら大変とギャラリーも真剣に見ていました。

 次に「餡きり」と呼ぶ器具に餡子を入れて一定量をたい焼きのお腹を中心に棒状に切り落とす作業になります。思いのほか手際よくこなすのにはびっくりしました。それでも、二人は全く無口で息を止めての作業。次に、たい焼きの反対側の型に種を流し込みます。うまくできたようです。そして、待つこと約2分両方の型を拝むようにして持ち上げて左側に倒す作業です。

 

 なかなか、タイミングが取れないようでしたが腹を決めたような顔をして両方の型を合わせて素早く左側に倒しました。ここで、初めて呼吸が出来たようでした。約2分から3分間待っているとYさんが型を静かに開けるとそこには、金色のたい焼きが出来上がっていました。

丸森町の広報担当の職員が連写でシャッターを切っていました。温かな、湯気の上がるたい焼きを一枚一枚網に移します。空気にあてて粗熱を取ると出来上がりです。2回の実習を行いました。さて出来上がったたい焼きを1枚づつ取って食べました。その顔がなんとも愛らしい顔でした。私たちも思わず拍手をしました。

校長先生が近所の住民の方々をお呼びしていました。自分の孫やひ孫のような子供たちが真剣に取り組む姿を見て大喜びでした。

2人の児童がたい焼きをしみじみと味わっているうちに、Y君がほかの方のために焼き始めました。手際よく3キロ約100枚のたい焼きを皆さん方に振舞いました。丁度、工事に来られていた方やご近所の方にも食べていただきました。好評でした。もちろん、授業が終わって休憩のために出てきた下級生も興味深く焼き作業を見ていました。みんなそろって「いただきます」と言って食べ始めました。その笑顔の輪は素晴らしかったです。ここにきて良かったと思いました。

 災害の後の出来事や、この学校の在り方などについて先生が本当に熱心にお話してくださいました。もっと伺っていたいのですが、午後の学校のスケジュールもありますので心残りですが学校を後にしました。

 

 次の目的地は、筆甫(ひっぽ)と読みます。意味は「筆のはじめ」ということで何やら伊達政宗の初陣に通じることらしです。ここまでの道も大きく壊れて、一部不通区間があるということで大幅な回り道をしてゆきました。道路はアスファルトが捲れたり、路肩が崩れたり、落石防止の金網が落石で壊れてしまったりしていました。途中昼食のために立ち寄った食堂は、何とか再開はしたものの阿武隈川の景色を見ながら食べることが出来るウッドデッキが宙に浮いていました。店の入り口のドアに「ここまで水が来ました」となっていましたが、もう想像を超える水量だったことがわかりました。

 

 オフロードの道を走ったのは久ぶりでした。昼食時間を含めて約1時間をかけて筆甫小学校につきました。校庭では児童がサッカーをしていました。全校生徒14名という学校で仙台からの山村留学の児童もいました。

校舎入り口には教頭先生がいらっしゃいました。直ちに準備にかかりました。何回も繰り返してきたので誰からも指示がなくても10分足らずで準備完了。先生が目を丸くしていました。この学校では、全員が一緒にたい焼き体験授業に参加します。近隣の方々も10名近く来てくださいました。5年生2人が、粉の準備からネタつくりまでを体験して、6年生が焼く作業を担当しました。児童は、先輩のやる動作を真剣に見つめていました。黄金色に焼きあがったたい焼きに全員で大きな拍手がわきました。そして、試食タイムです。「うめーぇ」という声が至る所から聞こえていきました。見学に来られた近隣の方も、やっぱりたい焼きは旨いと言ってくださりました。校長先生も挑戦しました。この学校も直接な被害はなかったが児童の家が被災した例もあったようです。でも災害に負けない姿は勇気を与えたくれました。

 

 活動を終えていよいよ帰京です。筆甫から東北道、常磐道のどちらでも出ることはできますが、今まで走ってきた道路の状態を見ると東北道へ出るよりも丸森経由で常磐道に出ることにしました。

 不通になっている45号線を見ていると地元の車が上がってきます。意を決して45号線を下りました。なんといってよいかわからないほどの被害が出ていました。一番衝撃的だったのは、落石防止、土砂崩壊を防ぐために岩肌一面に塗られたコンクリートの壁の下から水がどんどん出ていたのです。コンクリートの下部に穴が開いているのです。つまり壁の内側は伽藍洞になっている危険性もあるのではないでしょうか?

徐行に近いスピードで降りて、不動尊公園の前にあるあぶくま荘についた時ホッとしました。ここからは通常の道が新地インターチェンジに続いていました。

 

 常磐道を走るのは2015年以来です。現在車線拡張工事が行われていますがなんとなく不気味な感じがします。途中の大熊町付近では2マイクロシーベルトの表示が光っていました。つくば市に入り、東北道を渡って圏央道に入り愛川ICで座間へと戻ってきました。

ドライバーのKさん、ナビゲーターのKさん本当にご苦労様です。そして、初めて被災地でのたい焼き活動に参加してくれたYさん、Tさんそして5回目の我が妻にも感謝します。

 

 今回の活動は、被災地支援というのは様々な形があることが見えてきました。確かに重装備の活動にはなりますが、たくさんの笑顔を見ることが出来て、私たちも元気をいただけたような気がします。

学校での活動を提案してコーディネートしてくださった女川のYさんにもお礼を申し上げます。さらには、この活動の原資は、座間市内での「たい焼き」活動でたくさんのたい焼きをお買い上げいただいた方々の力で可能になっています。応援してくださった座間市民の方に感謝します。また、チャンスがあればお祭りなどにも出ていければと思っています。

 

 被災された皆様からのお話は、機会があればセミナーなどで伝えてゆきたいと思っています。「負けない。「いのち」が残ったのだから・・・」というお話・・・忘れません。

ありがとうございました。

《おしまい》