26年度 東北スタディーツアー報告(その3)

雨の中の南三陸防災庁舎
雨の中の南三陸防災庁舎

 8月10日 気仙沼は雨模様でした。台風は日本海方向にずれたようですがスピードが上がらないこと、予想以上に暴風圏が大きいようで今日は雨に泣かされる一日になるような感じがします。

 

 今日のスケジュールはハードです。

朝の集合は7時起床、出発準備、朝食というスケジュール。7時45分出発の予定でしたが、心配していた通り寝坊者が出現。出発5分前に部屋をチェックしたら爆睡中という強者がいました。

シングルの部屋だったので心配していましたがその通り。携帯にタイマーをセットしても音が聞こえないという緊張感に欠けたb参加者がいたようです。

 事前学習の時に私は、「東北方面はまだ地震が収まっていません。万一の時に備えて必ず各自懐中電灯を持って参加してください。地震が来たら沿岸部では、何よりも「遠くではなく高いところ」への避難行動をにとること。他人に構わず自分の身を守ることだけに集中してください」ということを話しましたが・・・残念ですね。

予定よりも約15分遅れて気仙沼のホテルの前を出発しました。

 

 バスは、雨の中を南三陸町へ入ってきました。この町へ入るのは何回になるのだろうか…来るたびに復興の遅さにいら立ちに似た思いを持ちます。昨年の秋以来の訪問です。

この町は震災の時、あまりにも衝撃的な映像や音声によって有名になりました。南三陸町防災庁舎の赤くさびた鉄骨は今日も雨の中に建っていました。周辺の工事の計画が決まったのか道路の方向が変わって方向感おかしくなりました。少しずつ変わってきているのかもしれません。隣接してあった病院の建物は撤去されています。雨の中全員下車して慰霊台に向かって順番にお参りをしました。

 

 今後この建物が、保存されるのか解体されるのかが話題になっています。ご遺族や町民のお気持ちを考えると一概には申し上げられません。仮に保存するとなった場合には過去の例からして維持管理の費用は自治体の経費の中で・・・となるとなかなか厳しいものがあると思います。「震災保存遺構」というような制度を明確にして国や県が費用を持ってということであれば、「自然の前に人々は謙虚に臨まなくてはならない」という教訓を国民全体の災害対応の文化にするというための目的施設として保存して欲しいと思います。

「災害伝承」ということは言われていますが、文化論の研究者の方が言われているようにそれを「伝承」というものを越えて「減災文化として」共有し生活の行動様式が変わらなければまたこの災害と同じことが繰り返されるという意見に賛成をせざるを得ないと思いました。

 

 バスは、次の訪問地石巻市を目指して走ります。

石巻市に入って石巻ライオンズクラブのガイド役の阿部さんと合流しました。

阿部さんの案内で石巻市の被災現場を見学します。石巻市も大きな被害を受けました。北上川河口域は地盤の沈下で今もなお地形が大きく変わってしまいました。沿岸部、河口下流部は川をさかのぼった津波が川の両岸にあふれ出て多くの面積が被害を受けました。

主要産業である水産業は大きな打撃を受けました。また、太平洋に面した隣接する東松島市なども被災し災害の時のよりどころであった航空自衛隊の基地も被災し津波の恐ろしさを改めて感じました。

 

 石巻市内での被害は様々なところで出ましたが、何よりも注目された被害は大川小学校での災害対応のまずさから学童、教員が被害を受けて「いのち」を失ったことでしょう。

今回の、東北スタディー・ツアーとしては、釜石市の鵜住居小、釜石東中の防災教育の成功と比べる意味でもぜひ見学が必要ではないかとの思いから大川小学校の跡を訪問しました。

バスの到着を待っていたように強い雨が降り始め、ガイドの阿部さんの声も聞きにくくなるような感じでしたが全員下車して慰霊塔にお参りした後に当時の状況について説明を聞きました。

すでに細かなことは報道などで取り上げていますので書きません。私はこの場を訪問するのは2回目です。今日も思うことは、北上川河口から5キロ上のこの場所で大津波警報が出されて約50分間も、なぜ校庭に児童を置いていたのかということが理解できないのです。裏山が迫っていたという意見もありますが、どんなことをしても高台へ児童たちをあげれば犠牲者の数を少なくはできたはずです。

隣接する門脇小学校は無事に避難しているのです。校長が不在ということは理由にならないわけで、災害時には「その時、その場所にいる人」が「出来ることを全力を挙げて立ち向かうこと」が原則です。この意識が学校全体として共有されていないことがもたらせた結果だと思うのです。

今回参加された保護者の中には同年代の子供を持つ方もおられたようです。

 

 大川小のことは、現在の座間市の学校における防災対策にも通じることではないかと思います。

義務的に通過儀礼的に行われる「消防訓練」なのか「地震災害対応訓練」なのか明確でない「訓練」、マニュアルを作ることが目的化している状況はまさしく大川小学校の事故に通じることではないかと思いました。

何よりも「いのち」を守るために何をすべきかという目標を立てて、そのために具体的な計画と訓練の実施と検証、マニュアルの修正という繰り返しが必要だということを感じました。

どうか、参加した生徒、学生たちがこの事実を「自分(たち)のこと」として認識して、学校の訓練、地域の訓練委積極的に参加してくれることをまた、学校に対して声をあげてくれるようになってほしいと思いました。

バスは石巻の復興現場、活動者の拠点を見学してガイドをお願いした阿部さんと別れ女川町へ向かいました。