第32回 神奈川地域社会事業賞の授賞が決まりました

神奈川新聞社様よりご連絡があり、

「第32回神奈川地域社会事業賞」の受賞決定の連絡をいただきました。表彰式は12月7日とのことです。

 

約11年間、座間市を中心として東京都、神奈川県、千葉県等を中心として、市民を対象とした減災・災害対応活動並びに行政との減災に関する協働事業や学校防災教育授業支援活動、被災地への応急支援や復興地コミュニティー維持を目的とした「たい焼きプロジェクト」活動などが評価されての表彰だとのことです。

今年度は、県内から28団体の応募があり、外部委員を含む8人の審査員の方々による審査会で厳正な審査の結果だとの連絡をいただきました。

11年の間には、様々な災害がありました。また、活動の中心であった座間市でも防災行政に大きな変革がありました。

その一つが、神奈川県内で一番最初に取り組んだ「ShakeOut訓練」です。地震災害をはじめ、自らの「いのち」にかかわる危機があった場合に、身を守る行動訓練です。

 

 座間市は2020年1月23日に向けて8回目の訓練がスタートしました。

初回の2012年1月は、市内人口の3万人の参加を目指してスタートしました。その後、回を重ねるごとに参加登録人員は増えて、ここ5年間は、昼間人口の約50%を超える市民、事業者、教育機関、商業施設、公的機関などが参加をするまでに成長しました。

この活動が、高く評価され2015年3月に仙台で行われた第3回国連国際防災会議のパブリックフォーラムで発表の機会をいただくことが出来ました。そして、神奈川県も「かながわShake Out訓練」を導入することになりました。

 

 このような活動が引き金となり、座間市は避難所運営委員会を設置して、各避難所の開設・運営訓練を展開するに至りました。また、座間市はShake Out+1訓練にも取り組み、それぞれの部署の職員が自発的に地域防災計画に定められている災害対応業務を展開するまでに至りました。この成果は、2019年10月の台風15号並びに19号の時の対応にも素晴らしい成果を残すまでに至りました。

市民団体と行政が「協働事業」という形で、市民参加型の防災行政を推進できることは、「災害をわがことにする」という意識の強化につながるものと思っています。

 

 被災地支援においては、2011年3月11日のいわゆる東日本大震災への支援活動に取り組みました。その後、座間市民からの支援をいただきながら約6年間、東北被災地で私たち団体の特技であります「たい焼きプロジェクト」が被災地の仮設住宅の集会場や、災害救援ボランティアセンター、商業施設などを巡回して復興のお手伝いをさせていただきました。

その後、熊本地震、九州北部水害被災地である朝倉市、西日本水害地である倉敷市真備町などでも「たい焼き」をお届けしてきました。

 

 いつ来るかわからない災害は、市民にとっては最大の不安です。

多くの市民は、いざという時には市役所や県や国が助けてくれるという安易な依存的な考え方が多かったのですが、私たちの活動を通じて、「自助」の必要性さらには「隣助」の大切さを知るようになったと思います。

地域コミュニティーが溶け始めている現代社会で発災直後に頼れるのは「隣助」(向こう三軒両隣)だということを伝え続けています。その後、そのつながりが広がるにしたがって「共助」が機能するということをひたすら伝え続けております。

 

 そして、究極の自助とは「避難所に頼ることのない被災後の生活」を構築することだということの啓発を続けています。

これらは、各地被災地を巡って、被災者の方々からお聞きした生々しいお話などから私たちなりに感じた教訓です。

 

 今、私たちは、災害時の空白地帯となる「児童ホームの防災事業」を座間市と協働で取り組んでいます。共働き世帯が多くなる中で子どもたちは「児童ホーム」の利用度合いが高くなってきています。

一方では、3・11の教訓として自治体は、帰宅困難者を抑制する施策を打ち出しています。つまり災害直後の帰宅はしない。企業内で留め置くことが原則になりました。

その時、空白地帯で戸惑うのは「児童ホーム」の利用者である「児童」です。この子供たちの「いのち」を守るシステムが安全側に機能することが大事だと思うからです。

 

 さらに、東日本地震からの教訓で基に「マイ発電所プロジェクト」という活動も行っています。私たちの心配が当たったのが、北海道胆振東部地震そして今年発生した千葉県下を襲った「ブラックアウト」です。電気も「自助」なのです。この活動もさらに強化して進めてゆこうと思います。

 

 私たちは、今回の表彰に奢ることなく私たちは「できることを、できるときに、できるだけ」の精神で災害で「死なない」「けがをしない」「火事を出さない」という基本中の基本行動の普及啓発に取り組みたいと思っています。

この受賞は、皆様方の暖かいご支援でいただけた賞だと思っています。今後ともご支援をお願いします。


令和元年10月怒涛の3日間


 暦は早くも10月です。神無月ですね。出雲では全国神様サミットが行わrウェているのでしょうね。

ざま災害ボランティアネットワーク(ZSVN)は、公社SL災害ボランティアネットワークの受託事業を2つこなしてきました。

 

 実は、今年はZSVNでは、2人の体調不良者がいまして戦力的に落ち込んでいます。

しかし、行いの良い仲間の団体には良いことがあるのです。2月の公社SL災害ボランティアネットワークが開催しました、SL県央相模原講座を修了した3名の方が、ZSVNのメンバーに入ってくれたのです。

1名の方は現役でありなかなか平日の活動には参加しにくい状況ですが、Kの二乗の2人の方は非常に意欲的に活動に参加してくれます。今回の二つのイベントにも参加してお手伝いしてくれました。最初は何もできなくてもよいのです。参加する中で自分の特性に合った分野の活動を探していただければよいと思っています。

 

① 県立座間高校宿泊防災訓練への支援

 10月4日から5日は、県立座間高校の宿泊防災訓練でした。

参加者は生徒約30名、先生10名、地域の方(近隣自治会)5名、座間市職員3名、ZSVNメンバーが6名が参加し総勢約55名の訓練が行われました。

 

本訓練は、4月から数回にわたりZSVNと学校が打ち合わせを重ねて訓練計画を詰めて、詳細計画を作り上げてきました。学校の担当者であるN教諭、M教諭の熱意にはこれはこちらも負けずに応援しなければならないという気持ちがわいてきました。

 

 現実には、避難所は公設・民営であり、学校の生徒は災害時には「守られれる対象」となります。しかし、彼らも年々成長をして行き、やがて社会人となって自発的行動ができる人になるはずです。その予備的な体験としてこの訓練を成功させたいというのが担当教諭の思いでした。

当初、何を中心に進めるかということでっ学校と私たちと意見が分かれましたが、結局は「クロスロード・HUG」を中心に避難所に避難してくる人を迎え入れて事情を聴きだして、その被災者をどこに収容するのか・・というトリヤージュを行うこと。その間に提示される様々な外的要因に対してどうやって対処するのかについて考えてもらうことにしました。

 

実際には、私たちのレッスンプランも若干の未消化の部分や、学校とのタイムテーブルの擦り合わせが不十分な点もあったことから必ずしも、先生方の狙い通りになったかという評価は振り返りの会議でお聞きして今後の役に立たせたいと思っています。しかし、生徒の反応は決して悪くなく興味を持ってくれたと思っています。

 

座間市も、ZSVNも基本的には、災害が発生しても、避難所に来なくてもよい安全な生活空間を作り上げておくことが大切であるという、「気づき」に気づいてほしいというのが願いです。果たしてアンケートの結果がどのようなものになるのか楽しみにしています。

 

事前打ち合わせで私たちが強く願した、訓練中の作業の安全管理、素手での作業厳禁。災害食の体験、配食にあたって、衛生管理を厳重にすることだけはお願いしてきました。これについては本当によく守ってくれました。私たちが展示した、避難所内への三角テントの設置作業も、軽々とやってのけてくれました。

 

私たちメンバーは、5日は21時まで活動をして、自宅へ戻りました。翌朝は6時に再度集合して災害用炊出し袋による作業を支援しました。いつも持参するメジャーや漏斗をあえて忘れて、現場で使用済みのペットボトルを使ってメジャーを作って作業をすることも見てもらいました。炊飯係の家庭科の先生もなるほどという顔をされていました。

焚きたてのご飯によるおにぎりとみそ汁で各人それぞれ語り合いながら朝食摂っていました。

朝食、避難所の清掃を済ませていよいよ振り返りの時間が始まりました。これも驚くほど充実した形でまとめてくれました。私たちも先生の授業の進行方法を学ぶことが出来ました。ありがとうございました。

そして、各グループの発表が行われました。これも、さすがに座間高生という感じでまとめていましたし、各班の発表も持ち時間の3分を見事に使い切り、避難所の意味合い、災害についてもっと知りたい、避難所へ来ないという意味が理解できたさらに、将来への展望を含めて提案が行われました。

その一つが、生徒会の中に「防災を考えてゆくグループ」を作って地域の方々と交流出来たらという意見が提示されました。素晴らしいことです。これこそが学校における「自助」でありまた地域との「共助」の実現につながることだと思いました。

 

私も、講評を求められましたので私からは、素晴らしい活動だったこと。もう一つ、この地盤の脆弱なことをきちんと理解して欲しいこと、隣には座間養護学校があります。災害時に特に助けが必要な方々が学校生活を送つています。ぜひ、何かあった時には、我が身を守り、友人を守りあった後に、養護学校と連携して支援体制ができるような形になって欲しいことをお願いしました。さらに、私たちは一人では生きてゆかない。社会的にも健常者と障がい者などがうまく循環できる社会の創造にも目を向けてほしい。この行事が、継続されることを願ってということで終わりにしました。

 

最後に、校長先生から、ご自分の若い時代に受けた被災体験をもとに災害の恐ろしさ、助け合う大切さについてお話をされ、今回の取り組みについて素晴らしい成果だったと思う。今後この学校の存在価値を高めるものにしてゆきたいと思うということを話されました。

 

 この企画を計画、推進担当をされたNそしてM教諭の情熱には感動を覚えました。

こういう学校とつながることが出来てことを幸せに思っています。ありがとうございました。参加してくれたメンバーの方もこの体験を通じて加入した団体ZSVNの存在価値の大切さを知っていただけたと思っています。引き続きお願いします。

 

②愛川ふれあいの村「ファミリー防災キャンプ支援事業」

 

 5日から6日は、標記の事業の支援に向かいました。9時20分に座間高校を後にして会員は、13時愛川集合ということで別れました。

私は、訓練で使用した資機材を倉庫に入れて自宅に戻り改めて愛川町に向かいました。

12時40分ごろには会場へ入りました。身体の節々が痛みを感じています。悔しいけど仕方がないですね。この事業は、ふれあいの村が毎年開催している企画でしたが、今年は、県の広報に掲載されなかったために参加家族は例年を大幅に下回り約10家族でした。

 

この訓練にも何回かの打ち合わせが行われましたが、今一つ、私たちが持っている災害に関するコンセプトと防災キャンプという先方のコンセプトの間のずれが埋まらないままになりましたが、私たちは依頼されたパートについては全力を挙げて取り組もうという思いで参加しました。

 

三角テントの展示とファミリーの希望者に体験をしてもらいました。その後、避難所というものがどういうものなのかということを熊本益城町の総合体育館の例を取って話しました。さらに、被災するということについて、特に東日本災害の写真を参考に話をしました。驚いたことには「大川小学校の悲劇」について知っている方が2名しかいなかったことでした。

一通りの説明が終わりましたので、保育園や児童ホームをを利用されている方がいると思いますが、引き取りの順番を考えていますか?と質問しました。「小さい子から」とか「大きな子から」という声が聞こえてきました。

私は、それは災害というイメージがご自分のものになっていないから答えられないのだと思います。決して急いで引き取りに行く必要はないのです。児童ホームや保育園は最後まで責任をもって預かってくれるのです。

 

もしあなたが、子供を引き取ってから家に戻り家の中を片付けることを考えてみてください。「家具や危険物が散乱している中に子供をどこに置くのですか?」第一、キャップ式のライトはお持ちですか? 片手に懐中電灯をもって一人でどうやって片付けるのですか? というと「ああそうか」という顔が見えてきました。

先ずは、我が家の被害状況を確認して、子供が安全にいられる場所を作り、厚手のブルーシートなどで安全な場所を作ってから引き取りに行かなければならないのです。

 

災害というものは自分の都合よい形で被害は出ないのです。そのように、災害の本質をきちんと見極めることが防災ということにつながるのです。

と言いながら、「TVを固定している方?」と質問すると数名が手を上げました。どうやって固定していますか?というと「粘着のジェルシートで」という答えでした。

 あのシートには経年劣化があります。固定は必ずワイヤーを使って、TV台につなげることが大切です。

「ガラスの食器棚を使われている方?」とお尋ねするとパラパラと手が上がりました。

 

備えで一番大切なことは「出す」ことに備えなければならないのです。

次は、「飲む」ことです。

そして「食う」ことです。

さらに、デマに窓合わされないようにするために信じるに値する情報を入手することです。そのためには「電気」も自助しなければならないと思っています。

今日は会場に私たちが取り組んでいる「マイ発電所PJ]の成果物を展示しています。

この程度のもので十分です。携帯、スマホ、PC、プリンター、トランシーバーの電源や灯りが取れます。何よりも乾電池のゴミが出ません。このような備えをせざるを得ない状況にあります。原発は頼れません。電気は輸入できません、発電機は夜は回せません。などということを話させていただきました。

 

ちょっと厳しいかなと思いましたが、確実に首都を襲う地震を前にあまりにも呑気な雰囲気に危機感を感じました。

 

終わって、相談コーナーの時間ですが、皆さんお疲れなのか数家族の方が、熱心に質問をされてきました。写真を撮ったり、値段を聞きに来られました。

このイベントは、もう一歩深堀をする必要があるのではないかと感じました。

21時 後にして自宅へ戻りました。

 

6日は、「ナマズの学校」のゲームが行われました。ZSVNから指導員が参加しましたが時間的に短く物足りない中途半端な感じだったようです。

こうして、連荘の宿泊訓練を行ってきました。参加された皆さん本当にご苦労様でした。

 

 怒涛の3日間はこうして終わり、月曜日からまた新しい打ち合わせが始まります。市内自治会や学校からのオファーが並んでいます。さらに、たい焼きPJも動きます。はーっ。

 

座間高校訓練アルバム

愛川ふれあいの村 ファミリー防災キャンプアルバム


厚木社会福祉協議会 災害救援ボランティアセンター運営スタッフ養成講座をしました

 2月22日。厚木社協様からの依頼で公社SL災害ボランティアネットワークの受託事業である「厚木社協災害救援ボランティアセンター運営スタッフ養成講座」を行わせていただきました。

 

 これで、座間市、愛川町、清川村、大和市、厚木市と県央域の3市1町1村のVCの養成講座を展開することが出来ました。

 

 新型コロナウイルスの問題があって、社協さんも判断に迷ったようですが、市の指示は「不特定多数の集会」となっていたようで、今回の参加者については、住所、連絡先も把握しているという条件があるので「不特定多数」に該当しないだろうということで実施することになったようです。

 ざま災害ボランティアネットワークのSL会員7名とともに参加しました。受講者は約25名∔社協職員ということで午後からの実技では30名を超える方の参加がありました。さすが22万都市の貫禄だと関心をしました。

 

 事前の何回かの打ち合わせを経て、プログラムを作成しました。今年から3年間の計画で運営スタッフを養成をするという計画のもとで進めることにしました。

地元にもSL会員が何名かはいるのですが、なかなか活動が活性化できませんでした。それでも、Iさんは個人的には大変な状況にあるのですが、社協さんとはつながっていただいていたのでSLの存在は理解していただけたようです。

 

 今回は、初めてなので午前中は、「発災後の3:3:3」のワークショップ(WS)を行いました。非常に熱心に向かい合う姿が好ましく感じました。途中、時間が押してしまって時間切れになりそうでので巻いて切り上げようかと思いましたが、あまりにも熱心な熱気を感じてしまいましたので、主催者とも相談して午後にはみ出す了解をいただいて終えることが出来ました。

 

 災害対応というのはいかに想像力を持てるかということだと思います。日常生活の中で「地震」に出会った時、「地震だ、揺れている」で終わってしまうのか、もう一つ進んで、この地震が引き起こす後の「世界はどうなるのだろうか?」「その時に自分はどんな対応をするべきなのか」、または、「自分はどんな状態になってしまうのか?」というイメージが描けなければ、災害を自分のこととして受け止めたとは言えないと思います。

 

 私たちが取り組んでいる「3:3:3」というWSは、発災直後の行動から3分間、3時間、3日間(72時間)のタイムゾーンについて「自分はどうするのだろう」「どうなってしまうのだろう」ということを付箋に書き出して「どう行動したらよいのか」ということをグループでまとめてゆくものです。

その作業の中で自分なりのタイムテーブルを作ることで、災害時に目の前に起きる(た)事象への対応の判断を「緊急性」「重要性」という秤にかけて考えながら「命の時間」といわれる72時間を、自助・隣助・共助という段階で支えあいながら、生き抜きぬくプロセスを構築するものです。

 

 確かに、その通りには行かないと思いますが、そのような物差しや、スケジュールを持っているかいないかで行動や対応は変わってくると思います。

「行動できないのは、想像できないから」という言葉があります。また、「行動できない人の心理」というアプローチで考えると、「しない、言わない、関わらない、そしてやらなければ安全だ」という心理が働くといわれています。

確かに、行動しなければ「失敗はしない」かもしれません。

しかし、災害という非日常的な場面で「行動しなければ」失敗します。その失敗は「死につながる」かもしれないほどの失敗なのです。

 

 そういう「想像ができない人」は災害にかかわってはだめだと思います。そのためにも「3:3:3」WSは有効だと考えて取り組んでいます。

そして、最後に、失敗しないためには・・・という今をどうやって過ごしてゆくのかを考えてWSを終えることにしています。

最後にお願いすることは「気づき」「考え」「行動する」 行動しなければ明日は今日の続きです。ということで終わります。

 

以前から、私は、災害とは人に「災い」を及ぼす不都合な事象のすべてを言う」と言っています。ある意味不遜な言い方かもしれませんが、「被害者出るものは全て災害だ」ということです。防災という分野ではとかく狭義の災害について語られ深堀する傾向がありますが私はもっと広く日常の子供の喧嘩から始まり戦争まで「被害者・被災者」だ出る原因は「災害」だということを言い続けてきました。

 

今回の、新型コロナウイルスはすでにパンデミックレベルになっているいと思います。これは完全な災害だと思います。何が原因なのかは私には専門的な知識はありませんから語ることはできません。しかし、原則的な初動の手順にボタンの掛け違いがあったと思うのです。

このような悲劇がでないようにすることも私たちの活動の分野だと思います。

 

 WSに引き続いて災害救援ボランティアセンターの目的、行動規範、VCスタッフのあるべき姿などについての概論的な話をさせていただきました。

その後、ちょっと会場が手狭でしたが、VCの疑似訓練を行いました。

受付➡記入➡登録➡待機➡マッチング➡送り出し説明➡活動機材受領➡活動へ出発➡活動終了➡帰着・フロー・・などの流れを2つの班に分けて体験をしてもらいました。

厚木社協はまだ、正式なフォーム類もそろっていませんでしたのでA4の白紙+付箋を使って行いました。

 

 受講者の方は、なんとなく流れは理解できたと思います。この後は、社協の担当者の方が座間のVC訓練に参加して実際の動きを学んでいきたいとおっしゃっていました。

一歩一歩歩んで行けばよいと思います。新年度は、ステップアップ講座、さらに今回のような入門編を実施したいというお話もありました。

 

 私たちざま災害ボランティアネットワークのメンバーの会員もお休みを返上して参加してくださいました。受講者をコントロールしていただきありがとうございました。その姿を見てうちの団体も力をつけてきたということを感じました。ご苦労様でした。

 

0 コメント

宮城県丸森町 たい焼き支援活動に参加しました(3)

  2月10日。天気は良かったのですが寒いです。ズボン下を履いていても下からゾクゾクと寒さが這いあげって来るようで、思わず「ホカロン」のお世話になりました。

 

 今日の活動は、2つの小学校を回ってたい焼きの体験授業をやることになっています。

7時30分 亘理町の宿を後にして一路丸森の町を目指してゆきます。最初は、耕野小学校です。何事もないときであれば役場から30分圏内といわれていますが、何分にも阿武隈川が暴れていて私たちにはどう進んだらよいのかわからないのですが、ドライバーのKさんとナビゲーターのKさんに任せて進んでゆきます。

 

 県道349号線をたどってゆきますが、この道は阿武隈川沿いに走りますが、道はかなりあれていて何よりも道路のガードレールが10月の台風で流されてしまったままになっています。当然、アスファルトもひび割れた場所から雨水が入ったことですべて浮き上がったり、めくれ上がったままです。まだ、道路の啓かいが行われたままの状態で、何とか地元の方の日常の生活を維持できるだけの状況です。

 

 この位置から見る阿武隈川はかなり低い谷の中を流れています。時には淀みを作ったり、瀬にになったりしています。ふと、眼を上げるとかなり高い樹木の枝にビニール袋の切れ端や、ブルーシートの切れ端が引っかかったりしています。あの位置まで水が来たということは、川底からの高さは半端ないものです。それが、川幅一杯になって流れたわけですから、当然、本流である阿武隈川は圧倒的な勢いと水位で下って行ったと思います。

 

 そこへ、普段から支流の川が流れこもうとしても流れることが出来ずにいわゆる「バックウオーター」が発生して丸森の集落を水没させたのだと思われます。それにもまして、山々で間伐材を切って乾燥をさせるために放置していた木々が、土砂崩落に巻き込まれて下に崩れてきて川に流れ込んで橋をだめにしてしまったとの話も聞きました。災害から4か月たってもまだまだ日々の生活を維持する程度の修復らしき工事しか進んでいないというのが実情でした。

 

 ウネウネとした道を進むこと約40分ようやく阿武隈駅を下に見るところまで進んできました。細い道が上の方へ向かう道の入り口に耕野小学校入り口の標識が見えました。そこから一段と道は上り坂、四輪駆動車だからこんなに多くの人と、資機材を積んで上がれるのだと思いました、道は陥没していたり、片側が崩落したところに鉄板が敷き込まれているようでした。慎重に走ると郵便局の先に学校の上り坂があり、校舎が見えてきました。耕野小学校です。車内から「ほっ」というような雰囲気が漂いました。

 

 教頭先生が出迎えてくださいました。すぐに授業をする場所を指定していただき挨拶もそこそこに準備を始めました。私は教頭先生に促されて校長室にお邪魔しました。女性の校長先生がお待ちでした。ご挨拶をして当時の状況をお聴きしました。校庭にはまだ、ロープが張られていて立ち入りできないようになっていました。校長室から見える右奥には竹林が大きくうねるような感じで崩れ落ちた痕跡が見えました。先生は、気仙沼から異動されてきた単身赴任中のようです。当日は不在で連絡も途絶えてしまい不安な気持ちだったようです。三日後に自衛隊の啓かい作業が終わって、何とか入れるということで学校へ這いあがるようにしてこられたようです。その時見た校庭は校舎の際まで、竹林が押し寄せてきていてギリギリのところで校舎は無事、そして、何よりも子供たちが誰一人かけることなく無事だったことがうれしかったと話してくださいました。

 

 準備が出来ましたということで外に出ると、6年生の男女2人が給食用の白衣と帽子を身に付けて待っていました。挨拶をしました。ものすごく元気で礼儀正しい挨拶でした。全校7名の児童が勉強をしているようです。現在は山村留学の生徒さんがいなくなったので少し寂しいとのことでした。

 

 先生からは、事前にたい焼きを作る工程をすべて体験したいとのお話がありましたので早速、Y君の指導で、粉をふるいにかけて水の入った容器の中に落とし込んで、ホイッパーで混ぜる作業をしました。女子の児童にはちょっときついかなと思いましたが一生懸命に回して滑らかに溶きました。さて、この種を型に流し込む用具(デポジッター・種落とし)に入れてたい焼きの型にに流し込む作業をします。二人とも真剣な顔つきで取り組んでいました。鉄の型が熱いので万一やけどをしたら大変とギャラリーも真剣に見ていました。

できました。

 次に「餡きり」と呼ぶ器具に餡子を入れて一定量をたい焼きのお腹を中心に棒状に切り落とす作業になります。思いのほか手際よくこなすのにはびっくりしました。それでも、二人は全く無口で息を止めての作業。次に、たい焼きの反対側の型に種を流し込みます。なかなかうまくできたようです。そして、待つこと約2分両方の型を拝むようにして持ち上げて左側に倒す作業です。

 

 なかなか、タイミングが取れないようでしたが腹を決めたような顔をして両方の型を合わせて素早く左側に倒しました。ここで、初めて呼吸が出来たようでした。約2分から3分間待っているとYさんが型を静かに開けるとそこには、金色のたい焼きが出来上がっていました。

丸森町の広報担当の職員が連写でシャッターを切っていました。温かな、湯気の上がるたい焼きを一枚一枚網に移します。空気にあてて粗熱を取ると出来上がりです。2回の実習を行いました。さて出来上がったたい焼きを1枚づつ取って食べました。その顔がなんとも愛らしい顔でした。私たちも思わず拍手をしました。

校長先生が近所の住民の方々をお呼びしていました。自分の孫やひ孫のような子供たちが真剣に取り組む姿を見て大喜びでした。

2人の児童がたい焼きをしみじみと味わっているうちに、Y君がほかの方のために焼き始まました。手際よく3キロ約100枚のたい焼きを皆さん方に振舞いました。丁度、工事に来られていた方やご近所の方にも食べていただきました。好評でした。もちろん、授業が終わって休憩のために出てきた下級生も興味深く焼き作業を見ていました。みんなそろって「いただきます」と言って食べ始めました。その笑顔の輪は素晴らしかったです。ここにきて良かったと思いました。

 災害の後の出来事や、この学校の在り方などについて先生が本当に熱心にお話してくださいました。もっと伺っていたいのですが、午後の学校のスケジュールもありますので心残りですが学校を後にしました。

 

 筆甫(ひっぽ)と読みます。意味は「筆のはじめ」ということで何やら伊達政宗の初陣に通じることらしです。ここまでの道も大きく壊れて、一部不通区間があるということで大幅な回り道をしてゆきました。道路はアスファルトが捲れたり、路肩が崩れたり、落石防止の金網が落石で壊れてしまったりしていました。途中昼食のために立ち寄った食堂は、何とか再開はしたものの阿武隈川の景色を見ながら食べることが出来るウッドデッキが宙に浮いていました。店の入り口のドアにここまで水が来ましたとなっていましたが、もう想像を超える水量だったことがわかりました。

 

 オフロードの道を走ったのは久ぶりでした。昼食時間を含めて約1時間をかけて筆甫小学校につきました。校庭では児童がサッカーをしていました。全校生徒14名という学校で仙台からの山村留学の児童もいました。

校舎入り口には教頭先生がいらっしゃいました。直ちに準備にかかりました。何回も繰り返してきたので誰からも指示がなくても10分足らずで準備完了。先生が目を丸くしていました。この学校では、全員が一緒にたい焼き体験授業に参加します。近隣の方々も10名近く来てくださいました。5年生2人が、粉の準備からネタつくりまでを体験して、6年生が焼く作業を担当しました。児童は、先輩のやる動作を真剣に見つめていました。黄金色に焼きあがったたい焼きに全員で大きな拍手がわきました。そして、試食タイムです。「うめーぇ」という声が至る所から聞こえていきました。見学に来られた近隣の方も、やっぱりたい焼きは旨いと言ってくださりました。校長先生も挑戦しました。この学校も直接な被害はなかったが児童の家が被災した例もあったようです。でも災害に負けない姿は勇気を与えたくれました。

 

 活動を終えていよいよ帰京です。筆甫から東北道、常磐道のどちらでも出ることはできますが、今まで走ってきた道路の状態を見ると東北道へ出るよりも丸森経由で常磐道に出ることにしました。

 不通になっている45号線を見ていると地元の車が上がってきます。意を決して45号線を下りました。なんといってよいかわからないほどの被害が出ていました。一番衝撃的だったのは、落石防止、土砂崩壊を防ぐために岩肌一面に塗られたコンクリートの壁の下から水がどんどん出ていたのです。コンクリートの下部に穴が開いているのです。つまり壁の内側は伽藍洞になっている危険性もあるのではないでしょうか?

徐行に近いスピードで降りて、不動尊公園の前にあるあぶくま荘についた時ホッとしました。ここからは通常の道が新地インターチェンジに続いていました。

 

 常磐道を走るのは2015年以来です。現在車線拡張工事が行われていますがなんとなく不気味な感じがします。途中の大熊町付近では2マイクロシーベルトの表示が光っていました。つくば市に入り、東北道を渡って圏央道に入り愛川ICで座間へと戻ってきました。

ドライバーのKさん、ナビゲーターのKさん本当にご苦労様です。そして、初めて被災地でのたい焼き活動に参加してくれたYさん、Tさんそして5回目の我が妻にも感謝します。

 

 今回の活動は、被災地支援というのは様々な形があることが見えてきました。確かに重装備の活動にはなりますが、たくさんの笑顔を見ることが出来て、私たちも元気をいただけたような気がします。

学校での活動を提案してコーディネートしてくださった女川のYさんにもお礼を申し上げます。さらには、この活動の原資は、座間市内での「たい焼き」活動でたくさんのたい焼きをお買い上げいただいた方々の力で可能になっています。応援してくださった座間市民の方に感謝します。また、チャンスがあればお祭りなどにも出ていければと思っています。

 

 被災された皆様からのお話は、機会があればセミナーなどで伝えてゆきたいと思っています。「負けない。「いのち」が残ったのだから・・・」というお話・・・忘れません。

ありがとうございました。

《おしまい》

 

0 コメント

宮城県丸森町 たい焼き支援活動に参加しました(2)

 今日の目的地の花田仮設住宅には7時40分につきました。寒いです。昨夜は小雪が降ったようであたりは雪がキラキラと輝いています。うっすらと積もった雪が一番危険です。車から降りるときが大事です。氷の上に雪が巻かれています。滑ります。

ここで、役場の担当者、ガスの会社の方と会うことになっています。

 

 この仮設住宅には68戸、約120名の方が入居されています。今日の午前中は、ここをベースにして、隣の和田仮設(12戸)、町西仮設(24戸)に配達をします。12時に畳んで、川を挟んだ向かい側にある寺西仮設団地(60戸)へ動いて、隣接する金山仮設(29戸)、大舘仮設(15戸)へ配達をする計画です。

 この方式は、北部九州の水害の被災地だった朝倉市の活動の時に、現地の生協さんと編み出した方法です。

今回の活動にあたっては。ここに出ているような予告ビラを貼りだしていますが、入居者の方が高齢になっているために外に出ない(出られない)ので戸別配達をしながら安否の確認もしようということでやりました。

 

 今日の、たい焼きの責任者のY君は、後輩メンバーに教えながらステージの組み立て、セッティング作業を始めました。そこへ役場の担当の方がおいでになりました。挨拶をして集会場の鍵を開けてもらいました。朝早くから申し訳ないと挨拶をしますと、「遠路はるばるありがとうございます」とのこと、おそらく週替わりに炊出しが入っているから、土日は休めないのだろうなと思いました。やがてLPGをお願いしていたガス屋さんも到着しました。

 

 朝から元気に仮設住宅のスロープの除雪をしている方がおられました。管理人さんか、自治会長かなと思って話しかけると、私たちと同じ、岩手県から来られている「丸森に笑顔届け隊」と名乗る団体のMさんでした。岩手でお世話になったので今度は私たちがお返しをしなければと思って活動をされているようです。昨日はこの場所で陸前高田の広田湾の牡蠣を使った焼き牡蠣をふるまったようです。(遅かった)今日一日コラボで「にぎやかし」をさせてくださいとのことですのでこちらこそということになりました。また、丸森社協さんからは生活支援員の方が二人がお手伝いしてくださるとのことでした。

 

 こうしてるうちにステージもできて、タネの仕込みが始まりました。

今日は、予定では700枚程度をと思っています。材料はたっぷりと持ってきています。最初に配達の仮設の分から焼き始めました。発泡スチロールの箱に詰めて2人で回り始めました。和田仮設は12戸です。これだけ広大な土地があっても、仮設住宅を建てる場所は少ないようです。まさか田んぼや畑の中には建てられないということで、被害を受けた学校の校庭、工場の余裕地等に立てることになるので住戸数は限られてきます。

 

 2便の準備ができたところに、1回目の訪問をしたメンバーが戻ってきて「天気が良いこと。日曜日ということで家の片づけ作業に出ているようで不在者がかなりいるようだとの話でした。10時になると、待ち構えていたように花田仮設の住民の方がボチボチと出てきます。一人2匹までという勘定で配布をしますが、遠慮して1匹でいいよという方が多いのに驚きました。子供たちも取りに来てくれます。

先ほどの、岩手からのボランティアさんが、個別に回って注文を取る感じで配達してくれます。私も何軒か回りましたが、やはり足が不自由で動けない方がいます。

 

・・・会津若松や釜石市の街中の仮設住宅のことを思いだしてしまいました。ドアをたたいても出てこないので、中のドアを開けると、置くのこたつの中から這い出てきて、私たちが提供する「すいとん」と「たい焼き」のお盆を持って涙を流していた姿です。

聞くとこの仮設は町中にある仮設なので「炊出しイベント」は全く入ってこない。スパーや商店はあるがよその話を聞くと見捨てられている気持ちになった・・・と言って涙していました。

 

 これと、全く同じ状況があるのですね。お礼を言ってくれました。仮設住宅の居室を見てみたいとお願いすると中に入れてくださいました。

独居の人は、1DKタイプ、夫婦だと2DKタイプらしい。子供がいると3DKです。この基準は変わらないようでしたが壁や床に断熱材が使われていること、土台がH鋼を使ったことできしみ音はありませんでした。台所はPタイルなので少し冷たい感じです。

しかし、明らかに改善されていたのは壁です。あの時は、鉄板だけでしたので結露がひどく、部屋の中は湿気があり、それが夜は凍結する、水が下に流れて手作りの断熱材のプチプチのシートの下はカビが黒く出ていました。しかし、ここの仮設はそのようなことはなく壁もきれいでした。保温、防音もしっかりしているようでした。しかし、何分にもこたつを置いていたらそこが生活の拠点になり危険が見受けられました。

 

 また、車いすを使って生活する住戸では、1DK車タイプ、2DK車タイプがあるようでした。玄関は最初から二重ドアなので履物が外に出ているということもなく、建物の横には、各住戸の番号が入った物置もあるようでした。駐車場も車いす対応のエリアが確保されていました。残念ながら自治会が出来ない悩みがあるようです。できるだけ同じ字の人を集めたが、1集落でも100人もいると顔がわからない人が出るので難しいと職員の方が言われていました。

 

 外では、岩手からの団体が通信カラオケの機械を持ち込んで「泳げたいやきくん」のカラオケを鳴らして、自らが歌ってくれています。この歌は、不思議と耳に残るのであまり使わなくなりました。夜、寝るときに耳の奥で曲が流れるのです。そんな、懐かしい日々のことを思いだしながらたい焼きを配っていました。

焼き手のY君は絶好調で、「この席は渡さないぞ」という熱が伝わってきます。こうして、約3時間の活動を終えて次の仮設へ場所を移しました。

 

 次の仮設は、有名なメーカーの工場の余裕敷地を借用して建設されたようです。寺内仮設団地(60戸)約80人が暮らしています。

会場となる集会室前にはテントが張られていました。山形県村山市から来られた「みどりの会」の方々の肉蕎麦と玉こんにゃくの炊出しのようです。早速、代表の方とご挨拶をして会場の設営にかかりました。

 本日2回目。かなり慣れてきました。タネは前の会場で仕込んできましたのですぐに焼き始められます。すると、隣から差し入れがありました。生蕎麦を湯がいて肉入りのスープをかけたおいしい肉蕎麦です。息も切らさずに食べてしまいました。

 

 ここからは、大舘仮設(15戸)、金山仮設(29戸)へ配達です。ベースの寺内仮設(60戸)はまだ、未入居の方が16戸あるようです。「たい焼きが焼けたよ」と呼びかけながら仮設の中を回ります。すると、ボチボチと出てこられます。また、例の岩手のにぎわしたい人たちが各戸を回って、何人分と予約を取って配達してくれました。

 

 また、集会場わきのちょっとしたスペースにカラオケ機を据えて「泳げたいやきくん」の歌を歌います。それにつられて出てきます。まんざら効果がないとも言えません。ふと気づくと我がチームのTさんが歌っているではありませんか? だんだん慣れてきて高音部も声がひっくり返ることもなく歌います。そのうちに例のMさんとデュエットで・・・・盛り上がります。

 

 私は、金山仮設に配達に行きました。ここは、旧丸森東中学の敷地内に建てられています。金山小学校は阿武隈川の支流の雉子尾川から100m以内の場所に建っていた学校で完全に水没してしまったようです。子供たちは丸森小学校の中に臨時の学校を置いて授業をしているらしいです。金山仮設団地は、旧丸森東中学校の跡地に建てられていて風当たりが強く寒い場所でした。狭い土地に肩を寄せ合うように立っていました。空き住戸も多く大変だなーと思いました。何よりも買い物はどうなるのだろうか?ということを感じました。車があればさほど苦にはならないまでも大変さを感じました。不在の方が多くて十分にお届けできませんでした。幸い敷地の向かいに老人介護施設がありましたのでそこのスタッフの方へお渡しして戻りました。

 

 その後、私は集会室にいたご婦人方とお話を聞きました。またの機会に書かせていただきます。どこへ行っても胸が詰まる話ばかりです。

 

 15時30分寒くなってきましたので店じまいをしました。

明日は、小学校へ行く活動です。荷物を片付けて積載して町役場の方を待ちました。鍵をお返ししてご挨拶をさせていただきました。ガス屋さんが引き取りに来られました。精算をして会場を後にしました。約50個のたい焼きを持って「丸森町災害救援ボランティアセンター」へ行き活動証明証に印鑑をもらいました。災害救援ボランティアセンターにしては大きすぎるほどのスペースがありました。(うらやましい)

災害救援ボランティアセンターのスタッフに見送られて今日の宿泊所のある亘理町へと向かいました。

 

 到着するとすぐに食事に出ました。みんな元気で活動が出来て満足そうでY君、Tさん、私の家内、Kさんは満足そうに喉を鳴らしていました。もう一人のKさんは、本日のハンドルキーパーということで、ソフトドリンク飲み放題というおまけがつきました。目の前に出てきた料理は見る見るうちに片付いてゆきます。約2時間の 一次会の宴でした。

一日ご苦労さまでした。

《続く》

2 コメント

宮城県丸森町 たい焼き支援活動に参加しました(1)

《河北新報10月27日号から部分引用させていただきました》

 台風21号や低気圧の影響による関東から東北にかけての記録的な大雨で、人的被害は26日、死者が千葉県で9人、相馬市で1人の計10人となった。同市では1人が行方不明になった。千葉県では鹿島川など15河川が氾濫し、ポンプ車による排水作業が進められた。
 相馬市では、25日夜に外出した60代女性が行方不明になった。26日朝、海岸近くで女性の遺体が見つかり、この60代女性とみて確認を急ぐ。30代息子を迎えに出たとみられ、息子とも連絡が取れず捜索している。
 国土交通省は今回の大雨により、台風19号で堤防が決壊した河川のうち、いわき市の夏井川など福島、宮城両県の4河川で水があふれ、浸水被害が発生したと明らかにした。いずれも土のうを積み上げる緊急復旧の作業中だった。あ
 交通機関の乱れも続き、JR東日本仙台支社によると、26日は線路下の盛り土が流出した影響で、常磐線の原ノ町(南相馬市)-山下(宮城県山元町)間が終日運休した。27日は始発から通常運転する予定。
 気象庁によると、相馬市では26日未明に12時間降水量が229ミリ、いわき市小名浜で187ミリとなり、半日で10月の平年値を超えた。相馬市の12時間降水量といわき市小名浜の24時間降水量は10月の観測史上最大。宮城県丸森町丸森は半日で10月の平年値に匹敵する146ミリを観測したとのこと。

《引用ここまで》

 この被害を受けてどのように被災地を応援できるかについて、運営委員で考えてきました。

直前に襲った台風15号により、座間市でも開闢以来の避難勧告がでて、私たちのメンバーも避難所に入るなどの活動がありました。また、台風19号により千葉県では甚大な被害が出ていることから災害救援ボランティアセンターを立ち上げる必要があり要請を受けて、富津市の社協に入って活動をするなど計画外の支援活動にもあって多忙な日々を過ごしていました。

 

 そして、この19号とその後に続いた低気圧によって阿武隈川水系で大きな被害が出ているという情報を得ました。

災害=募金というのは比較的簡単ではあるが、なかなか私たちの気持ちが伝わりにくいと意見もありました。協議の結果、私たち団体が持っている特技である「たい焼きPT」で活動をすることにしました。今年は、何かと年明けに行事が詰まっていて中々活動の時間が取れませんでしたが、2月の変則の連休を使って活動しようということで現地との調整に入りました。

 

 その結果、丸森町社協さんを経由して丸森町役場につながり、2月9日の仮設住宅(6か所)でのたい焼きをお願いしたいということになりました。

東日本震災から私たちと「ご縁」がつながっている、女川のYさんが、ご自分の事業の一部を丸森町の発哺地区に出しているということから、10日の平日を使って学校の授業時間を使ったイベントをしたいということになりました。丸森の奥の発哺地区にある「町立発哺小学校(在校生15名)」と、今回暴れまくった阿武隈川の対岸にある「丸森町立耕野小学校(在校生7名)」の学校を訪問して「たい焼き体験授業」をすることにしました。

 

 今回の、ZSVNの参加者は6名、代表とサポーター会員の家内を除く4名は初めての被災地活動でしたが、座間市内のイベントでは大活躍をしてくれているメンバーでしたので心配は一つもありませんでした。宿泊先を探しましたが予算もさほどないので亘理のファミリーホテルにしました。

 このように計画を進める中で、町役場から情報が流れてきました。全戸数208戸、入居者の人数は370名、市内を流れる阿武隈川水系を挟んで6団地が作られているとのこと、このことから、午前中は花田仮設にベースを置いて、そこから和田、町西仮設住宅へ配達することにしました。午後は舞台をたたんで対岸の、寺西仮設にベースを置いて大舘、金山仮設へ配達する作戦にしました。

幸いにして、岩手県から「丸森に笑顔届け隊」という団体と村山市の「みどり会」がそばの炊出しを行うことになり、現地でコラボして活動をすることにしました。

 

 8日は午前中に荷物を車に積み、午後から座間市社会福祉協議会の福祉フォーラムに出席をした後に、8日23時に座間市を出発。市内でメンバーをピックアップしながら東名から東北道を使って国見SAを目指しました。道路は特に混雑もないうちに3時過ぎに国見SAに到着。長い休憩を取った後、白石ICから丸森町を目指しました。途中河川を見ると河川敷が水で洗われてしまった形跡を見ることが出来ます。阿武隈川の水位が想定を超えてた高さになったために、支流からの流れが川に入ることがなくあふれてしまった(バックウオーター)ことが見て取れました。

8時30分 花田仮設住宅の集会場の前に到着しました。寒さが眠気不足な身を包みます。さて、たい焼きブースの準備です。

《続く》

0 コメント

防災ピクニック 快晴でした!!

今年も開催しました。

いつも天気でやきもきするこの企画今年は最高の天気でした。

11月4日振替の休日でした。8組の家族に参加していただけました。

このイベントの狙いは、パパがいないときに災害が起きたらママと子供はどうなるの?ということをイメージしながら、家族の「いのち」を守り 我が子を守り切るために普段からどのようなことを気を付けておかなければならないのかについて実技を入れながら短時間ですが学んでみようという企画です。

 

参加者の方の受付を済ませて、公園内の日当たりの良い温室のようなお部屋で代表から「小さな子供を持った家族の災害」ということで、①日ごろの備え、②地震などの突然の災害への対応、③一時(いっとき)集合場所への集合、④安否確認、携帯をむやみに使わない、パパとは連絡が取りなくても良いように普段から約束をしておく、⑤ママ友つながりは災害に時にはあまり役に立たない。水平のつながりよりも垂直のつながりを作っておこう…ということの話を聞きました。

 

外に出て、非常用に役に立つ「ブルーシート三角テント」の作り方の体験をしました。

これも、必要な物がなければできないので、家庭には2間×3間(3.6m×5.4m)のブルーシート、布のガムテープ、細引きひもを10mくらいは備蓄しておくように話しました。

今日は、サンプルの三角テントは、見事な姿で立っていました。

 

ざま災害ボランティアネットワークのメンバーが手順を追いながら説明をして建てた後に壊して、参加者が総出で作りました。

やはり、いつものパターンでしたが、ロープのしばり方に来ると、三角テントのことは忘れてしまいロープワーク教室になってしまいました。ロープワークは別の機会に学んでください。今ではユーチューブでもたくさん出てきます。

そんな作業を積み重ねて見事に出来上がりました。公園に散歩に来られた一般の方も興味深くみていました。このテントは災害時には威力を発揮すると思います。

 

室内に戻って、Tインストラクターの話がありました。

果たして何をどのくらいそろえるのが良いのか・・・そしてその重量はどのくらいになるのか?実際のセットで体感してもらいました。離乳期前後の乳幼児の場合には、子供の分で水を入れて約8キロぐらいになります。それにママの荷物、子どもを抱えて避難所へ行くのでしょうか? 果たしてゆきつっけるのかについて実際にもって歩いてもらいました。

 

私たちは、むやみに避難所にはゆかないことを薦めています。ある意味申し訳ないですが避難所は地獄のような場所です。特に、乳幼児を抱えて、初動期に入っても身を置く場もないです。であればどうするか? 避難所に行かなくても良い環境を作ることなのです。最近、どこの自治体も「自助」を強く前に出しています。読み方によっては80%ぐらいは「自助」というニュアンスです。

 

私たちは、被災地の避難所の支援に入った体験からも避難所にはゆかない生活を平時から作っておくことを薦めているのです。

持ってゆく食糧についての話もありました。そこで、各人が持参した災害食を食べる体験をしました。多くの方はコンビニで購入したと思われるカップ麺を持ってきました。

私たちは、カセットコンロを用意してお湯を提供できる体制を取っていましたので、参加者は何気なくお湯を入れておいしそうに食べていました。

実際の避難所では、そんなに簡単にお湯の提供は期待できませんし、避難者が多ければ順番待ちになります。そのようなことを考えてTインストラクターは、あらかじめ水を入れたカップうどんを準備していました。それを参加者に食べてもらいました。赤ちゃんも食べていました。スープの量をコントロールすれば薄味の離乳食になります。真冬では厳しいですが、暖かいものといっても赤ちゃんは熱いものは口に入れられません。ママが口の中で温めながらならば食べることはできると思います。

 

最近、注目の液体ミルクの試飲もしました。Tインストラクターから、余ってもよその人に分けることはしない、まだ缶を開けたばかりならばシェアーは可能ですが、哺乳瓶などに入れたものを回し飲みすることがないようにとの注意があり、イラスト入りのリーフレットを配布しました。

 

和やかなうちにピクニックは無事に終えることが出来ました。

どうか、参加してくれたファミリーは災害で悲しい思いをしないようにしてくださいね。

お手伝いしてくれた皆さんありがとうございます。

0 コメント

厚木社会福祉協議会 災害救援ボランティアセンター運営スタッフ養成講座をしました

 2月22日。厚木社協様からの依頼で公社SL災害ボランティアネットワークの受託事業である「厚木社協災害救援ボランティアセンター運営スタッフ養成講座」を行わせていただきました。

 

 これで、座間市、愛川町、清川村、大和市、厚木市と県央域の3市1町1村のVCの養成講座を展開することが出来ました。

 

 新型コロナウイルスの問題があって、社協さんも判断に迷ったようですが、市の指示は「不特定多数の集会」となっていたようで、今回の参加者については、住所、連絡先も把握しているという条件があるので「不特定多数」に該当しないだろうということで実施することになったようです。

 ざま災害ボランティアネットワークのSL会員7名とともに参加しました。受講者は約25名∔社協職員ということで午後からの実技では30名を超える方の参加がありました。さすが22万都市の貫禄だと関心をしました。

 

 事前の何回かの打ち合わせを経て、プログラムを作成しました。今年から3年間の計画で運営スタッフを養成をするという計画のもとで進めることにしました。

地元にもSL会員が何名かはいるのですが、なかなか活動が活性化できませんでした。それでも、Iさんは個人的には大変な状況にあるのですが、社協さんとはつながっていただいていたのでSLの存在は理解していただけたようです。

 

 今回は、初めてなので午前中は、「発災後の3:3:3」のワークショップ(WS)を行いました。非常に熱心に向かい合う姿が好ましく感じました。途中、時間が押してしまって時間切れになりそうでので巻いて切り上げようかと思いましたが、あまりにも熱心な熱気を感じてしまいましたので、主催者とも相談して午後にはみ出す了解をいただいて終えることが出来ました。

 

 災害対応というのはいかに想像力を持てるかということだと思います。日常生活の中で「地震」に出会った時、「地震だ、揺れている」で終わってしまうのか、もう一つ進んで、この地震が引き起こす後の「世界はどうなるのだろうか?」「その時に自分はどんな対応をするべきなのか」、または、「自分はどんな状態になってしまうのか?」というイメージが描けなければ、災害を自分のこととして受け止めたとは言えないと思います。

 

 私たちが取り組んでいる「3:3:3」というWSは、発災直後の行動から3分間、3時間、3日間(72時間)のタイムゾーンについて「自分はどうするのだろう」「どうなってしまうのだろう」ということを付箋に書き出して「どう行動したらよいのか」ということをグループでまとめてゆくものです。

その作業の中で自分なりのタイムテーブルを作ることで、災害時に目の前に起きる(た)事象への対応の判断を「緊急性」「重要性」という秤にかけて考えながら「命の時間」といわれる72時間を、自助・隣助・共助という段階で支えあいながら、生き抜きぬくプロセスを構築するものです。

 

 確かに、その通りには行かないと思いますが、そのような物差しや、スケジュールを持っているかいないかで行動や対応は変わってくると思います。

「行動できないのは、想像できないから」という言葉があります。また、「行動できない人の心理」というアプローチで考えると、「しない、言わない、関わらない、そしてやらなければ安全だ」という心理が働くといわれています。

確かに、行動しなければ「失敗はしない」かもしれません。

しかし、災害という非日常的な場面で「行動しなければ」失敗します。その失敗は「死につながる」かもしれないほどの失敗なのです。

 

 そういう「想像ができない人」は災害にかかわってはだめだと思います。そのためにも「3:3:3」WSは有効だと考えて取り組んでいます。

そして、最後に、失敗しないためには・・・という今をどうやって過ごしてゆくのかを考えてWSを終えることにしています。

最後にお願いすることは「気づき」「考え」「行動する」 行動しなければ明日は今日の続きです。ということで終わります。

 

以前から、私は、災害とは人に「災い」を及ぼす不都合な事象のすべてを言う」と言っています。ある意味不遜な言い方かもしれませんが、「被害者出るものは全て災害だ」ということです。防災という分野ではとかく狭義の災害について語られ深堀する傾向がありますが私はもっと広く日常の子供の喧嘩から始まり戦争まで「被害者・被災者」だ出る原因は「災害」だということを言い続けてきました。

 

今回の、新型コロナウイルスはすでにパンデミックレベルになっているいと思います。これは完全な災害だと思います。何が原因なのかは私には専門的な知識はありませんから語ることはできません。しかし、原則的な初動の手順にボタンの掛け違いがあったと思うのです。

このような悲劇がでないようにすることも私たちの活動の分野だと思います。

 

 WSに引き続いて災害救援ボランティアセンターの目的、行動規範、VCスタッフのあるべき姿などについての概論的な話をさせていただきました。

その後、ちょっと会場が手狭でしたが、VCの疑似訓練を行いました。

受付➡記入➡登録➡待機➡マッチング➡送り出し説明➡活動機材受領➡活動へ出発➡活動終了➡帰着・フロー・・などの流れを2つの班に分けて体験をしてもらいました。

厚木社協はまだ、正式なフォーム類もそろっていませんでしたのでA4の白紙+付箋を使って行いました。

 

 受講者の方は、なんとなく流れは理解できたと思います。この後は、社協の担当者の方が座間のVC訓練に参加して実際の動きを学んでいきたいとおっしゃっていました。

一歩一歩歩んで行けばよいと思います。新年度は、ステップアップ講座、さらに今回のような入門編を実施したいというお話もありました。

 

 私たちざま災害ボランティアネットワークのメンバーの会員もお休みを返上して参加してくださいました。受講者をコントロールしていただきありがとうございました。その姿を見てうちの団体も力をつけてきたということを感じました。ご苦労様でした。

 

0 コメント

宮城県丸森町 たい焼き支援活動に参加しました(3)

  2月10日。天気は良かったのですが寒いです。ズボン下を履いていても下からゾクゾクと寒さが這いあげって来るようで、思わず「ホカロン」のお世話になりました。

 

 今日の活動は、2つの小学校を回ってたい焼きの体験授業をやることになっています。

7時30分 亘理町の宿を後にして一路丸森の町を目指してゆきます。最初は、耕野小学校です。何事もないときであれば役場から30分圏内といわれていますが、何分にも阿武隈川が暴れていて私たちにはどう進んだらよいのかわからないのですが、ドライバーのKさんとナビゲーターのKさんに任せて進んでゆきます。

 

 県道349号線をたどってゆきますが、この道は阿武隈川沿いに走りますが、道はかなりあれていて何よりも道路のガードレールが10月の台風で流されてしまったままになっています。当然、アスファルトもひび割れた場所から雨水が入ったことですべて浮き上がったり、めくれ上がったままです。まだ、道路の啓かいが行われたままの状態で、何とか地元の方の日常の生活を維持できるだけの状況です。

 

 この位置から見る阿武隈川はかなり低い谷の中を流れています。時には淀みを作ったり、瀬にになったりしています。ふと、眼を上げるとかなり高い樹木の枝にビニール袋の切れ端や、ブルーシートの切れ端が引っかかったりしています。あの位置まで水が来たということは、川底からの高さは半端ないものです。それが、川幅一杯になって流れたわけですから、当然、本流である阿武隈川は圧倒的な勢いと水位で下って行ったと思います。

 

 そこへ、普段から支流の川が流れこもうとしても流れることが出来ずにいわゆる「バックウオーター」が発生して丸森の集落を水没させたのだと思われます。それにもまして、山々で間伐材を切って乾燥をさせるために放置していた木々が、土砂崩落に巻き込まれて下に崩れてきて川に流れ込んで橋をだめにしてしまったとの話も聞きました。災害から4か月たってもまだまだ日々の生活を維持する程度の修復らしき工事しか進んでいないというのが実情でした。

 

 ウネウネとした道を進むこと約40分ようやく阿武隈駅を下に見るところまで進んできました。細い道が上の方へ向かう道の入り口に耕野小学校入り口の標識が見えました。そこから一段と道は上り坂、四輪駆動車だからこんなに多くの人と、資機材を積んで上がれるのだと思いました、道は陥没していたり、片側が崩落したところに鉄板が敷き込まれているようでした。慎重に走ると郵便局の先に学校の上り坂があり、校舎が見えてきました。耕野小学校です。車内から「ほっ」というような雰囲気が漂いました。

 

 教頭先生が出迎えてくださいました。すぐに授業をする場所を指定していただき挨拶もそこそこに準備を始めました。私は教頭先生に促されて校長室にお邪魔しました。女性の校長先生がお待ちでした。ご挨拶をして当時の状況をお聴きしました。校庭にはまだ、ロープが張られていて立ち入りできないようになっていました。校長室から見える右奥には竹林が大きくうねるような感じで崩れ落ちた痕跡が見えました。先生は、気仙沼から異動されてきた単身赴任中のようです。当日は不在で連絡も途絶えてしまい不安な気持ちだったようです。三日後に自衛隊の啓かい作業が終わって、何とか入れるということで学校へ這いあがるようにしてこられたようです。その時見た校庭は校舎の際まで、竹林が押し寄せてきていてギリギリのところで校舎は無事、そして、何よりも子供たちが誰一人かけることなく無事だったことがうれしかったと話してくださいました。

 

 準備が出来ましたということで外に出ると、6年生の男女2人が給食用の白衣と帽子を身に付けて待っていました。挨拶をしました。ものすごく元気で礼儀正しい挨拶でした。全校7名の児童が勉強をしているようです。現在は山村留学の生徒さんがいなくなったので少し寂しいとのことでした。

 

 先生からは、事前にたい焼きを作る工程をすべて体験したいとのお話がありましたので早速、Y君の指導で、粉をふるいにかけて水の入った容器の中に落とし込んで、ホイッパーで混ぜる作業をしました。女子の児童にはちょっときついかなと思いましたが一生懸命に回して滑らかに溶きました。さて、この種を型に流し込む用具(デポジッター・種落とし)に入れてたい焼きの型にに流し込む作業をします。二人とも真剣な顔つきで取り組んでいました。鉄の型が熱いので万一やけどをしたら大変とギャラリーも真剣に見ていました。

できました。

 次に「餡きり」と呼ぶ器具に餡子を入れて一定量をたい焼きのお腹を中心に棒状に切り落とす作業になります。思いのほか手際よくこなすのにはびっくりしました。それでも、二人は全く無口で息を止めての作業。次に、たい焼きの反対側の型に種を流し込みます。なかなかうまくできたようです。そして、待つこと約2分両方の型を拝むようにして持ち上げて左側に倒す作業です。

 

 なかなか、タイミングが取れないようでしたが腹を決めたような顔をして両方の型を合わせて素早く左側に倒しました。ここで、初めて呼吸が出来たようでした。約2分から3分間待っているとYさんが型を静かに開けるとそこには、金色のたい焼きが出来上がっていました。

丸森町の広報担当の職員が連写でシャッターを切っていました。温かな、湯気の上がるたい焼きを一枚一枚網に移します。空気にあてて粗熱を取ると出来上がりです。2回の実習を行いました。さて出来上がったたい焼きを1枚づつ取って食べました。その顔がなんとも愛らしい顔でした。私たちも思わず拍手をしました。

校長先生が近所の住民の方々をお呼びしていました。自分の孫やひ孫のような子供たちが真剣に取り組む姿を見て大喜びでした。

2人の児童がたい焼きをしみじみと味わっているうちに、Y君がほかの方のために焼き始まました。手際よく3キロ約100枚のたい焼きを皆さん方に振舞いました。丁度、工事に来られていた方やご近所の方にも食べていただきました。好評でした。もちろん、授業が終わって休憩のために出てきた下級生も興味深く焼き作業を見ていました。みんなそろって「いただきます」と言って食べ始めました。その笑顔の輪は素晴らしかったです。ここにきて良かったと思いました。

 災害の後の出来事や、この学校の在り方などについて先生が本当に熱心にお話してくださいました。もっと伺っていたいのですが、午後の学校のスケジュールもありますので心残りですが学校を後にしました。

 

 筆甫(ひっぽ)と読みます。意味は「筆のはじめ」ということで何やら伊達政宗の初陣に通じることらしです。ここまでの道も大きく壊れて、一部不通区間があるということで大幅な回り道をしてゆきました。道路はアスファルトが捲れたり、路肩が崩れたり、落石防止の金網が落石で壊れてしまったりしていました。途中昼食のために立ち寄った食堂は、何とか再開はしたものの阿武隈川の景色を見ながら食べることが出来るウッドデッキが宙に浮いていました。店の入り口のドアにここまで水が来ましたとなっていましたが、もう想像を超える水量だったことがわかりました。

 

 オフロードの道を走ったのは久ぶりでした。昼食時間を含めて約1時間をかけて筆甫小学校につきました。校庭では児童がサッカーをしていました。全校生徒14名という学校で仙台からの山村留学の児童もいました。

校舎入り口には教頭先生がいらっしゃいました。直ちに準備にかかりました。何回も繰り返してきたので誰からも指示がなくても10分足らずで準備完了。先生が目を丸くしていました。この学校では、全員が一緒にたい焼き体験授業に参加します。近隣の方々も10名近く来てくださいました。5年生2人が、粉の準備からネタつくりまでを体験して、6年生が焼く作業を担当しました。児童は、先輩のやる動作を真剣に見つめていました。黄金色に焼きあがったたい焼きに全員で大きな拍手がわきました。そして、試食タイムです。「うめーぇ」という声が至る所から聞こえていきました。見学に来られた近隣の方も、やっぱりたい焼きは旨いと言ってくださりました。校長先生も挑戦しました。この学校も直接な被害はなかったが児童の家が被災した例もあったようです。でも災害に負けない姿は勇気を与えたくれました。

 

 活動を終えていよいよ帰京です。筆甫から東北道、常磐道のどちらでも出ることはできますが、今まで走ってきた道路の状態を見ると東北道へ出るよりも丸森経由で常磐道に出ることにしました。

 不通になっている45号線を見ていると地元の車が上がってきます。意を決して45号線を下りました。なんといってよいかわからないほどの被害が出ていました。一番衝撃的だったのは、落石防止、土砂崩壊を防ぐために岩肌一面に塗られたコンクリートの壁の下から水がどんどん出ていたのです。コンクリートの下部に穴が開いているのです。つまり壁の内側は伽藍洞になっている危険性もあるのではないでしょうか?

徐行に近いスピードで降りて、不動尊公園の前にあるあぶくま荘についた時ホッとしました。ここからは通常の道が新地インターチェンジに続いていました。

 

 常磐道を走るのは2015年以来です。現在車線拡張工事が行われていますがなんとなく不気味な感じがします。途中の大熊町付近では2マイクロシーベルトの表示が光っていました。つくば市に入り、東北道を渡って圏央道に入り愛川ICで座間へと戻ってきました。

ドライバーのKさん、ナビゲーターのKさん本当にご苦労様です。そして、初めて被災地でのたい焼き活動に参加してくれたYさん、Tさんそして5回目の我が妻にも感謝します。

 

 今回の活動は、被災地支援というのは様々な形があることが見えてきました。確かに重装備の活動にはなりますが、たくさんの笑顔を見ることが出来て、私たちも元気をいただけたような気がします。

学校での活動を提案してコーディネートしてくださった女川のYさんにもお礼を申し上げます。さらには、この活動の原資は、座間市内での「たい焼き」活動でたくさんのたい焼きをお買い上げいただいた方々の力で可能になっています。応援してくださった座間市民の方に感謝します。また、チャンスがあればお祭りなどにも出ていければと思っています。

 

 被災された皆様からのお話は、機会があればセミナーなどで伝えてゆきたいと思っています。「負けない。「いのち」が残ったのだから・・・」というお話・・・忘れません。

ありがとうございました。

《おしまい》

 

0 コメント

宮城県丸森町 たい焼き支援活動に参加しました(2)

 今日の目的地の花田仮設住宅には7時40分につきました。寒いです。昨夜は小雪が降ったようであたりは雪がキラキラと輝いています。うっすらと積もった雪が一番危険です。車から降りるときが大事です。氷の上に雪が巻かれています。滑ります。

ここで、役場の担当者、ガスの会社の方と会うことになっています。

 

 この仮設住宅には68戸、約120名の方が入居されています。今日の午前中は、ここをベースにして、隣の和田仮設(12戸)、町西仮設(24戸)に配達をします。12時に畳んで、川を挟んだ向かい側にある寺西仮設団地(60戸)へ動いて、隣接する金山仮設(29戸)、大舘仮設(15戸)へ配達をする計画です。

 この方式は、北部九州の水害の被災地だった朝倉市の活動の時に、現地の生協さんと編み出した方法です。

今回の活動にあたっては。ここに出ているような予告ビラを貼りだしていますが、入居者の方が高齢になっているために外に出ない(出られない)ので戸別配達をしながら安否の確認もしようということでやりました。

 

 今日の、たい焼きの責任者のY君は、後輩メンバーに教えながらステージの組み立て、セッティング作業を始めました。そこへ役場の担当の方がおいでになりました。挨拶をして集会場の鍵を開けてもらいました。朝早くから申し訳ないと挨拶をしますと、「遠路はるばるありがとうございます」とのこと、おそらく週替わりに炊出しが入っているから、土日は休めないのだろうなと思いました。やがてLPGをお願いしていたガス屋さんも到着しました。

 

 朝から元気に仮設住宅のスロープの除雪をしている方がおられました。管理人さんか、自治会長かなと思って話しかけると、私たちと同じ、岩手県から来られている「丸森に笑顔届け隊」と名乗る団体のMさんでした。岩手でお世話になったので今度は私たちがお返しをしなければと思って活動をされているようです。昨日はこの場所で陸前高田の広田湾の牡蠣を使った焼き牡蠣をふるまったようです。(遅かった)今日一日コラボで「にぎやかし」をさせてくださいとのことですのでこちらこそということになりました。また、丸森社協さんからは生活支援員の方が二人がお手伝いしてくださるとのことでした。

 

 こうしてるうちにステージもできて、タネの仕込みが始まりました。

今日は、予定では700枚程度をと思っています。材料はたっぷりと持ってきています。最初に配達の仮設の分から焼き始めました。発泡スチロールの箱に詰めて2人で回り始めました。和田仮設は12戸です。これだけ広大な土地があっても、仮設住宅を建てる場所は少ないようです。まさか田んぼや畑の中には建てられないということで、被害を受けた学校の校庭、工場の余裕地等に立てることになるので住戸数は限られてきます。

 

 2便の準備ができたところに、1回目の訪問をしたメンバーが戻ってきて「天気が良いこと。日曜日ということで家の片づけ作業に出ているようで不在者がかなりいるようだとの話でした。10時になると、待ち構えていたように花田仮設の住民の方がボチボチと出てきます。一人2匹までという勘定で配布をしますが、遠慮して1匹でいいよという方が多いのに驚きました。子供たちも取りに来てくれます。

先ほどの、岩手からのボランティアさんが、個別に回って注文を取る感じで配達してくれます。私も何軒か回りましたが、やはり足が不自由で動けない方がいます。

 

・・・会津若松や釜石市の街中の仮設住宅のことを思いだしてしまいました。ドアをたたいても出てこないので、中のドアを開けると、置くのこたつの中から這い出てきて、私たちが提供する「すいとん」と「たい焼き」のお盆を持って涙を流していた姿です。

聞くとこの仮設は町中にある仮設なので「炊出しイベント」は全く入ってこない。スパーや商店はあるがよその話を聞くと見捨てられている気持ちになった・・・と言って涙していました。

 

 これと、全く同じ状況があるのですね。お礼を言ってくれました。仮設住宅の居室を見てみたいとお願いすると中に入れてくださいました。

独居の人は、1DKタイプ、夫婦だと2DKタイプらしい。子供がいると3DKです。この基準は変わらないようでしたが壁や床に断熱材が使われていること、土台がH鋼を使ったことできしみ音はありませんでした。台所はPタイルなので少し冷たい感じです。

しかし、明らかに改善されていたのは壁です。あの時は、鉄板だけでしたので結露がひどく、部屋の中は湿気があり、それが夜は凍結する、水が下に流れて手作りの断熱材のプチプチのシートの下はカビが黒く出ていました。しかし、ここの仮設はそのようなことはなく壁もきれいでした。保温、防音もしっかりしているようでした。しかし、何分にもこたつを置いていたらそこが生活の拠点になり危険が見受けられました。

 

 また、車いすを使って生活する住戸では、1DK車タイプ、2DK車タイプがあるようでした。玄関は最初から二重ドアなので履物が外に出ているということもなく、建物の横には、各住戸の番号が入った物置もあるようでした。駐車場も車いす対応のエリアが確保されていました。残念ながら自治会が出来ない悩みがあるようです。できるだけ同じ字の人を集めたが、1集落でも100人もいると顔がわからない人が出るので難しいと職員の方が言われていました。

 

 外では、岩手からの団体が通信カラオケの機械を持ち込んで「泳げたいやきくん」のカラオケを鳴らして、自らが歌ってくれています。この歌は、不思議と耳に残るのであまり使わなくなりました。夜、寝るときに耳の奥で曲が流れるのです。そんな、懐かしい日々のことを思いだしながらたい焼きを配っていました。

焼き手のY君は絶好調で、「この席は渡さないぞ」という熱が伝わってきます。こうして、約3時間の活動を終えて次の仮設へ場所を移しました。

 

 次の仮設は、有名なメーカーの工場の余裕敷地を借用して建設されたようです。寺内仮設団地(60戸)約80人が暮らしています。

会場となる集会室前にはテントが張られていました。山形県村山市から来られた「みどりの会」の方々の肉蕎麦と玉こんにゃくの炊出しのようです。早速、代表の方とご挨拶をして会場の設営にかかりました。

 本日2回目。かなり慣れてきました。タネは前の会場で仕込んできましたのですぐに焼き始められます。すると、隣から差し入れがありました。生蕎麦を湯がいて肉入りのスープをかけたおいしい肉蕎麦です。息も切らさずに食べてしまいました。

 

 ここからは、大舘仮設(15戸)、金山仮設(29戸)へ配達です。ベースの寺内仮設(60戸)はまだ、未入居の方が16戸あるようです。「たい焼きが焼けたよ」と呼びかけながら仮設の中を回ります。すると、ボチボチと出てこられます。また、例の岩手のにぎわしたい人たちが各戸を回って、何人分と予約を取って配達してくれました。

 

 また、集会場わきのちょっとしたスペースにカラオケ機を据えて「泳げたいやきくん」の歌を歌います。それにつられて出てきます。まんざら効果がないとも言えません。ふと気づくと我がチームのTさんが歌っているではありませんか? だんだん慣れてきて高音部も声がひっくり返ることもなく歌います。そのうちに例のMさんとデュエットで・・・・盛り上がります。

 

 私は、金山仮設に配達に行きました。ここは、旧丸森東中学の敷地内に建てられています。金山小学校は阿武隈川の支流の雉子尾川から100m以内の場所に建っていた学校で完全に水没してしまったようです。子供たちは丸森小学校の中に臨時の学校を置いて授業をしているらしいです。金山仮設団地は、旧丸森東中学校の跡地に建てられていて風当たりが強く寒い場所でした。狭い土地に肩を寄せ合うように立っていました。空き住戸も多く大変だなーと思いました。何よりも買い物はどうなるのだろうか?ということを感じました。車があればさほど苦にはならないまでも大変さを感じました。不在の方が多くて十分にお届けできませんでした。幸い敷地の向かいに老人介護施設がありましたのでそこのスタッフの方へお渡しして戻りました。

 

 その後、私は集会室にいたご婦人方とお話を聞きました。またの機会に書かせていただきます。どこへ行っても胸が詰まる話ばかりです。

 

 15時30分寒くなってきましたので店じまいをしました。

明日は、小学校へ行く活動です。荷物を片付けて積載して町役場の方を待ちました。鍵をお返ししてご挨拶をさせていただきました。ガス屋さんが引き取りに来られました。精算をして会場を後にしました。約50個のたい焼きを持って「丸森町災害救援ボランティアセンター」へ行き活動証明証に印鑑をもらいました。災害救援ボランティアセンターにしては大きすぎるほどのスペースがありました。(うらやましい)

災害救援ボランティアセンターのスタッフに見送られて今日の宿泊所のある亘理町へと向かいました。

 

 到着するとすぐに食事に出ました。みんな元気で活動が出来て満足そうでY君、Tさん、私の家内、Kさんは満足そうに喉を鳴らしていました。もう一人のKさんは、本日のハンドルキーパーということで、ソフトドリンク飲み放題というおまけがつきました。目の前に出てきた料理は見る見るうちに片付いてゆきます。約2時間の 一次会の宴でした。

一日ご苦労さまでした。

《続く》

2 コメント

宮城県丸森町 たい焼き支援活動に参加しました(1)

《河北新報10月27日号から部分引用させていただきました》

 台風21号や低気圧の影響による関東から東北にかけての記録的な大雨で、人的被害は26日、死者が千葉県で9人、相馬市で1人の計10人となった。同市では1人が行方不明になった。千葉県では鹿島川など15河川が氾濫し、ポンプ車による排水作業が進められた。
 相馬市では、25日夜に外出した60代女性が行方不明になった。26日朝、海岸近くで女性の遺体が見つかり、この60代女性とみて確認を急ぐ。30代息子を迎えに出たとみられ、息子とも連絡が取れず捜索している。
 国土交通省は今回の大雨により、台風19号で堤防が決壊した河川のうち、いわき市の夏井川など福島、宮城両県の4河川で水があふれ、浸水被害が発生したと明らかにした。いずれも土のうを積み上げる緊急復旧の作業中だった。あ
 交通機関の乱れも続き、JR東日本仙台支社によると、26日は線路下の盛り土が流出した影響で、常磐線の原ノ町(南相馬市)-山下(宮城県山元町)間が終日運休した。27日は始発から通常運転する予定。
 気象庁によると、相馬市では26日未明に12時間降水量が229ミリ、いわき市小名浜で187ミリとなり、半日で10月の平年値を超えた。相馬市の12時間降水量といわき市小名浜の24時間降水量は10月の観測史上最大。宮城県丸森町丸森は半日で10月の平年値に匹敵する146ミリを観測したとのこと。

《引用ここまで》

 この被害を受けてどのように被災地を応援できるかについて、運営委員で考えてきました。

直前に襲った台風15号により、座間市でも開闢以来の避難勧告がでて、私たちのメンバーも避難所に入るなどの活動がありました。また、台風19号により千葉県では甚大な被害が出ていることから災害救援ボランティアセンターを立ち上げる必要があり要請を受けて、富津市の社協に入って活動をするなど計画外の支援活動にもあって多忙な日々を過ごしていました。

 

 そして、この19号とその後に続いた低気圧によって阿武隈川水系で大きな被害が出ているという情報を得ました。

災害=募金というのは比較的簡単ではあるが、なかなか私たちの気持ちが伝わりにくいと意見もありました。協議の結果、私たち団体が持っている特技である「たい焼きPT」で活動をすることにしました。今年は、何かと年明けに行事が詰まっていて中々活動の時間が取れませんでしたが、2月の変則の連休を使って活動しようということで現地との調整に入りました。

 

 その結果、丸森町社協さんを経由して丸森町役場につながり、2月9日の仮設住宅(6か所)でのたい焼きをお願いしたいということになりました。

東日本震災から私たちと「ご縁」がつながっている、女川のYさんが、ご自分の事業の一部を丸森町の発哺地区に出しているということから、10日の平日を使って学校の授業時間を使ったイベントをしたいということになりました。丸森の奥の発哺地区にある「町立発哺小学校(在校生15名)」と、今回暴れまくった阿武隈川の対岸にある「丸森町立耕野小学校(在校生7名)」の学校を訪問して「たい焼き体験授業」をすることにしました。

 

 今回の、ZSVNの参加者は6名、代表とサポーター会員の家内を除く4名は初めての被災地活動でしたが、座間市内のイベントでは大活躍をしてくれているメンバーでしたので心配は一つもありませんでした。宿泊先を探しましたが予算もさほどないので亘理のファミリーホテルにしました。

 このように計画を進める中で、町役場から情報が流れてきました。全戸数208戸、入居者の人数は370名、市内を流れる阿武隈川水系を挟んで6団地が作られているとのこと、このことから、午前中は花田仮設にベースを置いて、そこから和田、町西仮設住宅へ配達することにしました。午後は舞台をたたんで対岸の、寺西仮設にベースを置いて大舘、金山仮設へ配達する作戦にしました。

幸いにして、岩手県から「丸森に笑顔届け隊」という団体と村山市の「みどり会」がそばの炊出しを行うことになり、現地でコラボして活動をすることにしました。

 

 8日は午前中に荷物を車に積み、午後から座間市社会福祉協議会の福祉フォーラムに出席をした後に、8日23時に座間市を出発。市内でメンバーをピックアップしながら東名から東北道を使って国見SAを目指しました。道路は特に混雑もないうちに3時過ぎに国見SAに到着。長い休憩を取った後、白石ICから丸森町を目指しました。途中河川を見ると河川敷が水で洗われてしまった形跡を見ることが出来ます。阿武隈川の水位が想定を超えてた高さになったために、支流からの流れが川に入ることがなくあふれてしまった(バックウオーター)ことが見て取れました。

8時30分 花田仮設住宅の集会場の前に到着しました。寒さが眠気不足な身を包みます。さて、たい焼きブースの準備です。

《続く》

0 コメント

防災ピクニック 快晴でした!!

今年も開催しました。

いつも天気でやきもきするこの企画今年は最高の天気でした。

11月4日振替の休日でした。8組の家族に参加していただけました。

このイベントの狙いは、パパがいないときに災害が起きたらママと子供はどうなるの?ということをイメージしながら、家族の「いのち」を守り 我が子を守り切るために普段からどのようなことを気を付けておかなければならないのかについて実技を入れながら短時間ですが学んでみようという企画です。

 

参加者の方の受付を済ませて、公園内の日当たりの良い温室のようなお部屋で代表から「小さな子供を持った家族の災害」ということで、①日ごろの備え、②地震などの突然の災害への対応、③一時(いっとき)集合場所への集合、④安否確認、携帯をむやみに使わない、パパとは連絡が取りなくても良いように普段から約束をしておく、⑤ママ友つながりは災害に時にはあまり役に立たない。水平のつながりよりも垂直のつながりを作っておこう…ということの話を聞きました。

 

外に出て、非常用に役に立つ「ブルーシート三角テント」の作り方の体験をしました。

これも、必要な物がなければできないので、家庭には2間×3間(3.6m×5.4m)のブルーシート、布のガムテープ、細引きひもを10mくらいは備蓄しておくように話しました。

今日は、サンプルの三角テントは、見事な姿で立っていました。

 

ざま災害ボランティアネットワークのメンバーが手順を追いながら説明をして建てた後に壊して、参加者が総出で作りました。

やはり、いつものパターンでしたが、ロープのしばり方に来ると、三角テントのことは忘れてしまいロープワーク教室になってしまいました。ロープワークは別の機会に学んでください。今ではユーチューブでもたくさん出てきます。

そんな作業を積み重ねて見事に出来上がりました。公園に散歩に来られた一般の方も興味深くみていました。このテントは災害時には威力を発揮すると思います。

 

室内に戻って、Tインストラクターの話がありました。

果たして何をどのくらいそろえるのが良いのか・・・そしてその重量はどのくらいになるのか?実際のセットで体感してもらいました。離乳期前後の乳幼児の場合には、子供の分で水を入れて約8キロぐらいになります。それにママの荷物、子どもを抱えて避難所へ行くのでしょうか? 果たしてゆきつっけるのかについて実際にもって歩いてもらいました。

 

私たちは、むやみに避難所にはゆかないことを薦めています。ある意味申し訳ないですが避難所は地獄のような場所です。特に、乳幼児を抱えて、初動期に入っても身を置く場もないです。であればどうするか? 避難所に行かなくても良い環境を作ることなのです。最近、どこの自治体も「自助」を強く前に出しています。読み方によっては80%ぐらいは「自助」というニュアンスです。

 

私たちは、被災地の避難所の支援に入った体験からも避難所にはゆかない生活を平時から作っておくことを薦めているのです。

持ってゆく食糧についての話もありました。そこで、各人が持参した災害食を食べる体験をしました。多くの方はコンビニで購入したと思われるカップ麺を持ってきました。

私たちは、カセットコンロを用意してお湯を提供できる体制を取っていましたので、参加者は何気なくお湯を入れておいしそうに食べていました。

実際の避難所では、そんなに簡単にお湯の提供は期待できませんし、避難者が多ければ順番待ちになります。そのようなことを考えてTインストラクターは、あらかじめ水を入れたカップうどんを準備していました。それを参加者に食べてもらいました。赤ちゃんも食べていました。スープの量をコントロールすれば薄味の離乳食になります。真冬では厳しいですが、暖かいものといっても赤ちゃんは熱いものは口に入れられません。ママが口の中で温めながらならば食べることはできると思います。

 

最近、注目の液体ミルクの試飲もしました。Tインストラクターから、余ってもよその人に分けることはしない、まだ缶を開けたばかりならばシェアーは可能ですが、哺乳瓶などに入れたものを回し飲みすることがないようにとの注意があり、イラスト入りのリーフレットを配布しました。

 

和やかなうちにピクニックは無事に終えることが出来ました。

どうか、参加してくれたファミリーは災害で悲しい思いをしないようにしてくださいね。

お手伝いしてくれた皆さんありがとうございます。

0 コメント