夏休み中高生復興地ボランティア活動記(2)

女川町ウミネコハウス開墾作業
女川町ウミネコハウス開墾作業

 8月11日です。今日で、東日本大震災から2年6か月がたちます。改めて、この災害の大きさに驚くと共に復興の困難さを再認識させられました。

 気仙沼の宿泊先は朝食が付かないので、近くのコンビニへ出かけました。コンビニを出たところでポツリポツリと雨が…これは大変と急いで帰ってきて宿舎に飛び込んだとたんに激しい雨音…約15分ぐらいの洗礼でした。今回の随行責任者の座間市社会福祉協議会のKさんは確率98%の雨男です。長い付き合いなので我々は驚きもしませんがそれにしてもよく降らせてくれます。

 

 7時45分バスは今日の活動地の女川町のウミネコハウスへと向かいました。雨の上がった気仙沼市の道はキラキラと輝き、今日の熱さを予感させてくれました。

 途中、南三陸町の防災庁舎前に立ち寄って犠牲者の方々へ哀悼の意をささげてきました。あの日、TVから流れてきたあの声を思い出してしまいました。この地を訪れたのは何回になるかは記憶にありませんが、この鉄塔も取り壊しが決まったそうです。生徒たちには記念すべき思い出になると思いました。遠くに見えていた病院の建物の取り壊しも進んでいました。しかし、その周辺を見回してもほとんど変わることがなく悲しい景色でした。

 

 バスは45号線を離れて398号線で女川に向かいます。先日の地震で崩れたと思われる補修工事が行われており何箇所か相互通行となっていました。志津川湾から続く小さな入り江は遠目ではあの災害を感じるものは見当たりませんでした。何べんも通っている私たちに目から見た女川の町は、少しずつ復興が進んでいるように感じられました。しかし、初めて訪れた生徒たちには津波の力の凄まじい景色を見て息をのんだのではないかと思いました。

 

 目的の「ウミネコハウス」に到着しました。八木さんが私たちの到着を待っていてくれました。さっそくバスの中で八木さんの自己紹介、今日までの歩み、いまどのようなことを思って活動を続けているかについて話がありました。今日の作業の目的についてもわかりやすく話してくださいました。しばらく、ウミネコハウスのウッドデッキの上で自由時間を過ごしました。


 私たちZSVNが技術支援をさせていただいた「さんま焼き ha たい焼き」を食しました。焼き色、味、食べ物製造環境の状況は非常にきちんとされていました。見事です。

 八木さんの車の誘導で今日の活動地である「高白浜」の畑の開墾作業場所に向かいました。


 この場所も、あの日約30戸の住居が1戸を残してすべて津波によって破壊されました。現在この跡地を畑にして仮設住宅に引きこもりがちの男性連中を野外に出すきっかけを作り農作業をすることで身体を動かすこと。人と交流すること。気分転換をすること。新しい目標を持ってもらうこと。できれば作った農作物を販売して収入を得ること・・・このような普通の生活循環を作ろうという取り組みに挑戦しようとする計画の一端のお手伝いをすることに参加させていただきました。

 

 座間からは開墾作業に必要な機材を持ち込んできました。A,B班に分かれて子供たちは、津波が押し込んだ流木や石、がれきなどをバケツに入れて集積場所へ集める作業に、そしてきれいになった場所の草をむしる作業を分担してもらいました。
 大人の隊員は、畑の敷地内に点在するかなり大きな岩石を、後日、フォークリフトなどが入って作業できるスペースまで移動させる作業に取り掛かりました。また、敷地内にある切り株を持ち込んだチェーンソーで切ったたり、掘り起こすことが出来るものは除去する作業に取り掛かりました。

 

 暑さは34度を示す中の作業でしたのでA・B班交代で20分作業をして10分休憩というペースで行いました。何よりも大変な作業が大きな石の除去作業でした。私が拾って運んできたガードレールの支柱のパイプを使ってコロを作り、金てこなどで石を浮かせて隙間にロープをかけて気合を入れながら徐々に引くという地道な作業を続けた結果3個の大きな岩石を取り除くことが出来ました。


 切り株除去部隊は、K君が消防団で鍛えたテクニックを駆使して取り組んで約2本の切り株を処理することが出来ました。
 生徒たちは、近くに流れている沢からロールとバケツを使って冷たい水をくみ上げては、汗まみれの大人や仲間たちの汗が少しでも涼しくなるように活動をしてくれました。
このようにして団結して3時間、取り組んだ作業の結果・・・「なんということでしょう」・・・津波のがれきなどが散乱していた場所はきれいな畑に変わっていました。


 全員で今日の成果物を前にして写真を撮りました。お腹はペコペコ・・・作業の後始末をしてバスに乗り込み小乗浜仮設住宅にあるニュー「このり」という食堂に向かいました。

 ここは人気がある食堂のようでして混雑していましたが順番に食堂に入って思い思いの食べ物を選んで食べていました。海鮮どんぶり、アナゴどんぶり・・・・そば・・・など私は「ミンククジラの刺身定食」を食しました。うまかった。

 こうして、休憩したのちに、今日のプログラムのもう一つの目的である、被災されて仮設住宅で生活する被災体験者の方との交流会にのぞみました。正直、私自身は、この企画がうまくゆくか心配でしたが、八木さんのサポートで子供たちもそして女性の避難生活者の方々も心を開いて被災の実体験の話、今の気持ち、これからの思いなどを話してくださいました。
たった一人参加してくださった男性の被災者との話し相手は、今までのささやかな体験があるだろうということで、私が担当させていただきましたが、十分な心の通い合いが出来ないままに終わってしまいました。 その原因は、年齢が私や一緒に参加したメンバーとそれほど離れていないということで、ついつい「自分だったらどうなるのだろう」という起き変えの気持ちが出てきてしまって言葉が詰まる部分もありました。
最後に、中学生が代表としてお礼と激励の言葉を述べてお別れをしてきました。

 バスで、ウミネコハウスに戻って、改めて八木さんから今日の体験の中から復興してゆくためには、このような学生や生徒さんたちの力が復興者の支えになっているのでこれからも機会があったら応援して欲しいという挨拶とお礼の言葉をいただいて活動を終えました。


 子供たち一人一人、きっと今日の体験は強烈な思い出として心に残ったのではないかと感じました。私、そしてZSVNのメンバーは数人の現役世代を除いて身体的には「しんどかった」と思いました。お付き合いさせてしまって申し訳ありませんでした。今夜の食伯施設は、最近オープンしたばかりの「サン・ファン・ビレッジ」というおしゃれな施設でした。早々に食事を済ませて軽く飲み会をして眠りにつきました。